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毛穴の奥に見えたもの Vol.2

毛穴の奥に見えたもの Vol.2 Try.2「(しゅ)さってなにさ?」

2016.02.28

今回から、いよいよ私のお肌奮闘記の本格的な話がはじまります。
肌の赤味に悩んでいる方に、少しでもお役に立てば幸いです。
 
 
はじまりは2008年、今から8年前のこと。
私は二人の娘(当時、長女は中学生、次女は小学校高学年)を育てながら、
スキンケア、筋トレなど、大好きな美容道に邁進していました。
 
そんな時です。私の肌荒れの一番最初の記憶、頬の右側にプツプツが現れたのは。
 
流行りの加圧トレーニングに通っていた私は、そのジムがあった吉祥寺で、美容皮膚科を検索。
すぐに受診しました。
 
その皮膚科の高齢の女医さんは、副腎皮質ホルモンの軟膏を処方し、
「強い薬だから、3日間しか使ってはダメよ」と念を押されました。
言われた通り3日間軟膏を塗布すると、気になっていた右頬のプツプツは一掃
綺麗に治ったので、しばらくは肌の事を忘れていました。
 

しかしそれから数か月経った頃から、頬全体がどんどん赤くなってきたのです。
肌の白い部分と赤い部分との差がはっきりしていて、顔色がまだら状態
家族に指摘されたこともあり、その当時、ジンマシンの治療で通っていたアレルギー専門医に相談をしました。
 
「先生、なんだか顔が赤いんですけど・・・・・・」
 
すると先生はまじまじと私の顔を見つめ、こう言われました。
 
酒さです」
 
思わず「酒さってなにさ?」とは聞き返しませんでしたが、
『酒を飲んで赤くなった西洋人の肌みたいになる病気』と教えられ、
そのネーミングにショックを受けたことを、はっきり覚えています。
 
そして顔には処方されたステロイドの軟膏を塗り、ジンマシンのお薬を飲みました。
すぐにまだらな顔の症状はおさまり、先生からは薬の塗布をやめるよう指示。そして
「これで顔の治療は終わりです」と一言。
 
「なーんだ、酒さって良くなるものなのね」
と、私は何の疑いもなく思いました。
 
 
一方、ストレスからくるジンマシンはなかなか良くはなりませんでした。
私のストレッサーは身近にいる次女だったので、ストレスの原因を取り除けるわけもなく・・・・・・
(なぜ次女がストレッサーだったのか? それはまたいつかのタイミングで)
ジンマシンもすっきり治らないので、段々とこの病院から足が遠のいていきました。
 
そんな折、長女の学校の保護者会の後、ママ友たちと美容の話になり、
自分の肌悩みを伝えたところ、渋谷の美容クリニックを教えてもらいました。
 
早速に受診し、
毛穴が開いているのが悩みで、肌に赤みも出るんです」と、
美容クリニックのお爺ちゃんドクターに悩みを告げ、
酒さの診断が出ていたことを伝えたのですが・・・・・・。
 
「酒さなんかじゃないよぉ。酒さっていうのは、酒飲みがなる病気だよ」と、一笑に付され、
しかも
 
「赤いほっぺで可愛いじゃない? チークいらずで(笑)」
 
と呑気なことを言われたのですが、これでずいぶん気持ちが軽くなったものです。
そしてこの時は「開いた毛穴の治療をしましょうか」ぐらいの、
気軽なカウンセリングで終わりました。
 
そんなある日、突然顔が真っ赤っかに!!
痒くて痒くて、しかも熱まで持っているよう。
 
慌てて酒さの診断をされた病院に。
医師からは、想像もしていなかったことを言われました。
 
『酒さは完治しない』
『治療としては抗生物質の服用、ステロイド剤の塗布しかない』
『その治療は長期的にみると肌を悪くしていくため、続けられない』
 
そう、気の毒そうに言われ、初めて事の深刻さに気づいたのです。
(次回へつづく・・・)
 
                     わたしが綺麗だと思うもの。
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「村上隆展での一枚。死の象徴であるしゃれこうべが生き生きとポップに描かれていて、
ほの暗い恐怖を感じさせるところが好き!」

Writer Profile

浅川あづさ
浅川あづさAzusa Asakawa

海外不動産投資セミナー講師/モデル

バブルが弾けて間もない大学卒業後、すぐに結婚。二女の母となり幸せな日々を送っていたが・・・・・・原因不明の治療法無しの皮膚疾患に苛まれ、約8年間苦しむ。そして肌治療のトライ&エラーを繰り返し、現在は主婦業の傍ら、カメラの前に立つモデルの仕事をするまでに肌が改善。その全貌を余すところなくお伝えするルポルタージュが、この「毛穴の奥に見えたもの」です。

赤ら顔で、‘酒さ‘や‘脂漏性皮膚炎‘と診断されましたが、綺麗になりましたよ。

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