恋に効く、仏教 Vol.10
第十話
やりたくない事は、やるべきか?
2016.02.24
今回は少し仕事をテーマにしたお話です。ここで書いてほしいとの質問がありましたので、懸命に考えまして書かせてもらいました。
この前、こんな事を聞かれました。
「やりたくない事を、無理してでもやるべきか?」
「行きたくないけど、仕事の為には、嫌な集まりに行くべきか?」
やりたくない、行きたくない、
ただ、やってみると、行ってみると、終わった後に、
「行ってよかった」、「やってよかった」
と思う時もある。
でも、
「やっぱり嫌だった」、と思う時もある。
やりたくない事を、やる必要はあるのか?
難しい質問です。
仕事をしている以上、
やりたくもない事に遭遇する機会は多く、
仕事である以上、皆が様々な思いを抱えて、その「やりたくない」「行きたくない」と対峙しているのではないでしょうか。
いろいろ調べてみますと、この手の質問は結構ネット上でも取り上げられていて、
一般的な意見は、
「とにかくやってみるべき」
という事であり、
心が疲れた方に向けての意見では、
「逃げ出せるなら逃げ出せ」
が多く書かれていたけれど
これは、ある意味両方正解であると思うのです。
以前ここで書いたように、(第4話)
苦しみから逃げる思いが一番辛いのであって、
苦しみを受け入れてしまう事が大事。
正論としては、
心配していることが一番辛いのだから、やるべきだ。
やって本当に辛かったら、その辛さを甘んじて、その間受ければいい。
実際の辛さより、辛くなりたくないと悩む時間のほうが辛いのだから。
となるし、
心が疲れている時は、
無理してうつ病になっても大変だし、いったん撤退し、
休むという選択肢も間違いじゃない。
となる。
その状況で臨機応変にしていく他ないのですが、
今回は、少し違った視点でこの問題を見てみたいと思います。
仕事というものをどう捉えるか、の問題となってしまいますが、
私たち僧侶はこの道を仕事とは思っていないのです。
そう修行です。
出家し、悟りたいと願う僧侶は、日々の暮らしすべてが修行なのです。
お経を読んでいる時も、
坐禅をしている時も、
食事をしている時も、
お客さんの対応をしている時も、
修行です。
自分の心と向き合う大切な時です。
仕事も、お金の為だけに行う作業と捉えてしまったら元も子もないが、
自己を高め、皆を幸せにする道という思いを持てているなら、
仕事であるようで、僧侶の修行と似ている気がします。
お金のために働いている人も、
どこかでその仕事の意味を見つけているはずであるから、
それも立派な幸せになる為の修行と言っていい。
「修行」が聞こえが悪ければ、
幸せになる為の「行い」と言ってもいいかもしれない。
曹洞宗の祖、道元禅師は中国に修行に行った際に入ったお寺で
修行道場の中でも、年配の修行者が夏の猛暑の下で、
食事の準備をしている姿を見つけて驚いたそうです。
「何もあなたみたいに長く修業した人が、こんな大変な雑用をしなくても。
他に変わりの若い子はいないのですか?
せめて暑くない日にやればいいのに。」
と、その年配の修行者に声をかけたそうですが、その年配の修行者は
「雑用とおっしゃいましたが、
これも立派な修行です。
私に与えられた事を、その時に、その場所で、私が一生懸命やるだけだ。」
と答え、道元禅師は感心するわけです。
最初に戻って、
やりたくない事はやるべきか?
もうこれ
やりたい、やりたくないじゃないんですよ。
与えられた事を、今、私がやる。
それだけだと。
仕事を幸せになる為の修行(行い)と捉えるなら、
与えられた事を、今、懸命にやり続ける事が大事なのです。
明日に明日にと先に延ばす余裕はない。
今、与えられた事は今にしかできない。
私に与えられた事を私がやることが修行である。
他人に私の修行を代わってもらう事は出来ない。
いま、ここ、わたし。
いま、ここにいる、わたししか私たちは生きられない。
それを一所懸命にやる事、一所懸命に生きる事。
これが人生であり、仕事であり、修行なのです。
これがどうつながるか?
自分の為になるのか?
嫌な思いになるかも?
私たちの毎日の仕事は、事前にやりがいや、
楽しさだけを感じられる仕事ばかりではないと思います。
でも、
今この瞬間、
この場所で、
この私に与えられた事を
懸命に行う。
この思いが大事であり、
やりたい、やりたくない
行きたい、行きたくない
楽しい、楽しくない
を超える思いだと思うのです。
この様な思いの中で過ごせば、
行きたくなかった場所のやりたくなかった事の中からでも、
幸せは見つかってくるのです。
人との縁も広がるかもしれないのです。
修行と聞くと、一歩引いてしまうかもしれませんが、
与えられた事を、今、自分がやる。
この積み重ねが、心を育て、幸せを見つけるのです。
本当の意味での仕事の成功へも近づくことだと思います。
少し難しかったかもしれませんが、
明日、別のところにいる、誰か
を
私は生きられないのです。
いま、ここにいる、わたし。
これしか生きられないし、ここを懸命になるべきなのです。
追記
仕事の内容ですと書きましたが、
これ、恋愛でも、遊びの時でも、
懸命に向かい合い、行うという点では同じかもしれませんね。
目の前の自分を懸命に生き、足もとの幸せに気づき、相手をしっかりと見つめる。
仕事も、恋も、日常も、共通点は多そうです。