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恋に効く、仏教 Vol.11

恋に効く、仏教 Vol.11 第十一話
素直な心 
「尿瓶でお茶は飲めるか?」

2016.03.09

結婚にも、恋愛にも素直な心が大事だ、と言いますが、
そもそも「素直」ってなんでしょう?
 
仏教的に言えば
素直な心とは、書いて字の通り
物事や相手を
「素のまま真っ直ぐ」見ることだといいます。
 
教えの言葉で言えば
(くう)」の心という事になります。
 
「空」というと「色即是空」などで知られる般若心経で出てくる言葉ですが、
少し難しそうです。
 
これを簡単な言葉で言えば、
 
こだわらない
かたよらない
とらわれない

 
この心が「空」の心だと言います。
 
まずこれを理解するには、
「この世の物はすべて実体がない」
という仏教の教えを理解せねばなりません。
 
要するに
あなたが見ている世界のものすべては、これと決まったものは一つもない。
あなたがそう思っている。それだけ。
あなたの心を通して見えている世界なのです。
 
例えば、この前、うちのお寺に外国人がお庭の拝観に来たのですが、
本堂の中で賽銭箱にベンチのように座って庭を見ていたんですよ。
もちろん注意はしましたが。
 
でも、
 
賽銭箱だって、賽銭箱だって決まっているわけではないんですよ。
みなさん浄財を入れるものだと思っていますが、
別にあの箱が「賽銭箱です!」と訴えてきているわけではないのです。

みなさんがいつかのタイミングで
「あれは賽銭箱というもので、お金をいれる大切なもの」と学び、
いまもそう思っている、だからそう見えている。ということです。

外国の知らない方から見れば、ベンチに見えるかもしれないし、ごみ箱にするかもしれない。
だって、あれ自身はただの木の箱ですから。
 
それを賽銭箱だなーと、みなさんの心がそう思っているわけです。
 
この世のすべてのものは実体がない
というのは、これと決まったものは何もなく、みなさんの心次第で、
いかようにも変化するということなのです。

 
こうなったら幸せで、
こうなったら不幸。
 
というのも決まっていないのと同じです。
 
みなさんの心が、幸せと感じるか、不幸と感じるかの問題だけです。
 
嫌な人っていうのもいないのです。
嫌だなぁーと思うあなたの心が、相手を嫌に見ているだけです。
 
 
うちのじいさんは
これを教えるために無茶苦茶な事をしていたそうです。
 
じいさんは女子短期大学の学長をしていた時期があったのですが、
新入生への最初の挨拶の際に、教室で
新品の尿瓶にお茶を注いで
「さぁ美味しいお茶ですよ。さぁどうぞ」
と、学生に勧めたそうです。

18歳の女の子は誰も飲めません。
新品とわかっていても尿瓶ですから。
 
無茶苦茶で今の時代でやったらニュースで出そうですが、
 
でも、
 
これは尿瓶で、尿を入れるもの。不潔なもの。
という思いがあるから飲めませんが、
新品の清潔な入れ物ということですから、
中のお茶は湯呑に入れるのとまったく変わりませんし、
使いまわしの湯呑より清潔かもしれません。
でも、飲めません。
 
これは、心が、「これは不潔なもの」と決めつけているからです。
 
手で水を掬って飲むときがありますが、手は清潔ですか?
過去にすごく不潔なものを触ったことありますよね?
手は大して清潔じゃなくても大丈夫。
尿瓶は清潔でも飲めない。
 
私たちの清潔への思いはいい加減なものです。
 
じいさんは、嫌がらせをしたわけでなく、
決めつけの心の怖さを新入生に伝えたかったそうです。
 
これはこういうものだ! という強いこだわりは自由さを奪います。
 
こだわりを持つというのが良い言葉のように扱われていますが、
強いこだわりは問題を起こしがちです。
 
 
結婚、恋愛の話に戻れば
 
例えば、喧嘩をした後に、
素直になれずお別れするという事がよくありますが、
相手に腹を立てることはしかたがないのですが、
1時間経って、その腹立つ事は終わって、次の話題なのに
私たちの心は、
1時間前の思いに
こだわり、とらわれ、かたより
嫌な相手だ、というフィルターを通して相手を見て、
もめる必要がないのに
さらに、もめてもめて、
こじれていくのです。
 
素直な心とは、
嫌な相手だ! というフィルターをどかして、
いま目の前にいる相手を見つめる事です。
 
尿瓶で例えれば、
その容器を、汚いもの、悪いものと決めつけてしまったら、
素晴らしい中身である美味しいお茶が飲めないのと同じように、
 
悪い奴、嫌な奴と決めつけてしまったら
あなたへの純粋な綺麗な思いが相手にあっても
その思いを感じることができないのです。
 
 
私たちは成長する過程で様々なものを吸収していく一方、
こだわりが強くなっていきます。
フィルターを外すことができず、自由な心になれなくなっています。
 
でも、みなさん小さいころは喧嘩しても5分後には手をつないで笑いあえたはずです。
 
その様なこだわりのない素晴らしい心を持っていたのです。
持っていたというと過去形ですが、実際には、
いまもその様な思いがみなさんの心の中にあるはずです。
 
 
大人になってそれができないのは、
腹を立てた思いにいつまでもこだわるからです。
そのこだわりが相手の心を見えなくするのです。
強すぎるこだわりが、
あなたが持っているはずの素晴らしい心を隠してしまうのです。
 
 
相手を
素のまま真っ直ぐ見る。

 
書いて字の通り、素直な心。
 
 
これは喧嘩じゃなくても様々な場面に言えることです。
 
完全じゃなくても、フィルターを捨てて相手を見ようと努力すれば、
フィルターで、曇って見えなかった相手の素晴らしさが見えてきて
幸せな思いに包まれるかもしれません。
 
なかなかフィルターは外すのは難しいですが、
フィルターを通して見ているということを
認識するのと、しないのと、
それだけでも大きな違いだと思います。
 
 
世の中や、相手を、
素のまま真っ直ぐ見る努力をしてみましょう。
 
そうすれば見える世界が変わるはずですから。
 
 
まぁ僕でも尿瓶でお茶は飲めませんけどね(笑)

Writer Profile

木宮 行志
木宮 行志Koushi Kimiya

お寺婚活「吉縁会」事務局長 / 龍雲寺住職

浜松市の龍雲寺に入寺後、小学生100名のサマースクールや、世界の子どもにワクチンを送る万灯会など、社会貢献活動を行う。

2010年より、静岡県西部で費用をかけず、安心した出会いの場を提供しようとお寺での婚活「吉縁会」を地元の若手僧侶とはじめる。2015年からは東京、2016年からは名古屋・岐阜・大分・仙台でも開催。現在、会員は10,500名。成婚は260名以上と大きな成果を上げる。僧侶という立場で、独身世代と向き合い、多くの縁結びをお手伝いする。2018年春、 龍雲寺 第22世住職となる。

永代供養・樹木葬・坐禅会紹介『龍雲寺』
寺コン・お寺婚活『吉縁会』

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