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恋に効く、仏教 Vol.16

恋に効く、仏教 Vol.16 第十七話
許す心

2016.06.19

少し前になりますが、
朝久しぶりに「めざましテレビ」を観ていたら、「紙兎ロペ」がやっていました。
 
その日は4月1日。
エイプリルフール。
 
いつも出てくる2人が、どんな嘘をつくと、面白いかを話していると、
小さい子が出てきて

「エイプリルフールは、嘘をついていい日じゃなくて、
友人のついた嘘を許す日だと思うんです。
許さなければその日は成立しませんから。」


と真面目に語り、シュールに終わるという内容でした。
 
シュールで面白いと終わればそれまでですが、
意外に深いことを言ってるなぁーと感心しました。
 
許すって簡単に口にしていますが、
結構重く大変なことだと思うのです。
 
 
仏教では、過去には
布薩(ふさつ)と呼ばれている会が開かれていました。
この布薩は定期的に開かれて、犯した罪を皆の前で告白する事になっていました。
 
いわゆる戒律を守れなかった事を告白するのです。
 
ちなみに、戒律と一括りに言っていますが、
戒と律は別物です。
 
戒は、自分が正しく生きるための誓い
律は、集団が生活するためのルールです。
 
戒は、主に5つ
殺生しない(命を無駄にしない)
盗みをしない
不倫をしない
嘘を言わない
お酒を飲まない
 
となっていて、これを守る努力をして正しく生きようと誓うわけです。
 
律は、今の法律と同じで、殺人などの犯罪の事をいいます。
 
律を犯すと、それ相応の罰則がありましたが、
戒は誓いですので、守れなくても、罪の告白だけで許されていました。
 
 
正しく生きようと誓ったのに、
それを守らないなんて、
罰を与えるべきだと考える人もあるかもしれません。
 
ただ、人間は弱いのです。
 
つい魔がさしたりするものです。
 
長い人生、完璧に過ごすことはできないのです。
 
間違えるのです。
 
お酒で失敗してもう飲まないと誓っても、
飲んでしまう事もある。
 
人の話を自分の話の様に話してしまう事もあります。
 
結婚の時に、一生添い遂げると誓いながら、他の人に気持ちが向く時もある。
 
つい口から出まかせを言ってしまう時もある。
 
常に失敗しながら生きています。
 
正しく生きたいと誓って、
そうなりたいと思っていても、
 
完璧に行う事は非常に難しいことです。
 
 
布薩は、人は弱い、という前提に立って、戒を犯したことを告白し、
再度誓いなおす場となっていたのです。
 
もちろん律(法律)を犯してしまえば、告白だけでは済みません。罰則があるわけですが、
 
正しく生きる誓いである戒は、ある意味では、
目標であり、罰則はないのです。
 
ただ、破りまくって良いわけではないので、布薩で告白して、罪を認め、
再度誓う事をするのです。
 
 
ここ最近、不倫のニュースが世間を騒がしています。
 
不倫はよくありません。
 
ただ、人間は弱いものです。
特に色恋では、ダメだとわかりながらも気持ちに引っ張られ、
不倫をしてしまう事もあるのかもしれません。
 
僕は不倫を肯定しませんし、誓いを守るつもりですが、
 
ここのところの芸能人の不倫に対する世間の目が厳しすぎる気もしています。
 
人が間違えた時
 
許す心が足りていない気がしています。
 
犯した罪を責めるのは得意でも
 
許すことができないのです。
 
 
布薩が成立したのは、
 
戒を犯した者が、告白し、再度誓えば
周りの者は後腐れなく許す
 
そんな関係があったからです。
 
怒りや正義感で、責めるのは簡単です。
でも、許すのは難しいのです。
 
 
私には3人子供がいますが、
よくケンカをします。
 
でも、5分も経つと手をつないで笑いあっています。
 
人間ですから、問題が生じると怒ります。
でも、相手がごめんね、と言ったら、もう終了して、
まっさらな気持ちで手をつないで笑いあうのです。
 
私たち大人は、とらわれる心が大きくなっていて、
許しを請われても、いつまでも許せません。
 
問題はもう過去の事になっているはずなのに、
過去の問題をいまも引っ張って、
その問題のフィルターを通して、
いま目の前にいる相手を見てしまいます。
 
いま目の前にいる相手は許しを請い、再度誓いなおし、
正しく生きると思っていても
 
過去の思いが心に残り、相手を素直に見られません。
 
 
大前提として誓いを守れない人が悪いのは当たり前ですが、
許せない人が増えていると思います。
 
人間は弱いのです。
 
許せないと思っているあなたも
いつ間違えるかわかりません。
 
芸能人の話で言えば、
当事者ですらないのですから、
布薩で罪の告白を聞いていた人たちと同じように、
告白と再度の誓いがあれば許してあげればいいのです。
 
完璧な人間なんていません。
間違えない人間はいません。

 
再度誓い、なんとか正しく生きようとしているなら
許しを与えるべきなのです。
 
でないと、
一度間違えたら終わり
という難しい綱渡りの社会になってしまいます。
 
 
許すのが難しい時代です。
 
離婚率が増えているのも、許すことができない人が増えているからかもしれません。
 
もちろんDVなど犯罪なら離婚すべきですが、
誓いが守れなかったのなら
再度誓いなおす機会を与え、許すことも考えるべきです。
 
 
紙兎ロペで、
エイプリルフールは、友人の嘘を許す日だと言っていましたが、
許さなければ、あの日は成立しないのです。
 
事実、エイプリルフールで、やり過ぎだと怒る人が増えてきています。
 
まぁ実際やり過ぎの場合もありますが。
 
 
 
恋愛でも、結婚でも
相手を許していく連続です。
 
逆に言えば
許される連続です。

 
 
ただこれが成立する
大前提として、
仏教でいう五戒を誓い、
正しく生きたいと生きていながら
誓いを守れなかった人への許し
 
と言う事ですので、
 
最初からその想いを持っていなければいけません。
 
ただ、そんな場合でも、間違えた時に過ちに気づき、
これから正しく生きると誓うのであれば許す
べきなのです。
 
 
僕は、保護司と言って、
罪を犯して刑務所から出てきた人の保護観察を行う事もしています。
 
罪を犯しても、刑を終え、
これからは罪を犯さないと誓って生きようとする者には
社会は許しを与えなければいけません。
 
ただ、実際には一度でも失敗すると社会は冷たいものです。
 
社会を明るくする運動といって、刑を終えた人を受け入れようという活動がありますが、
 
犯罪ではない誓いを守れなかった者に対しても、
許せない社会が出来上がってきている現在では難しいのかもしれません。
 
 
犯罪も、誓いを破るのも
罪は罪です。
 
許せない気持ちもわかります。
 
でも、
許さなければ
完璧な人間しか生きられない窮屈な社会になってしまいます。
 
綱渡りの社会にならないためにも
綱渡りの結婚生活にならないためにも
綱渡りの友人関係にならないためにも
 
許す事
 
一度深く考えてみませんか?
 
許しから始まる何かもあるはずです。
 
 
 
※専門的に言えば、
戒律の考え方、布薩の捉え方は様々ですが、
その点はお許しください。

そう許して下さい。

Writer Profile

木宮 行志
木宮 行志Koushi Kimiya

お寺婚活「吉縁会」事務局長 / 龍雲寺住職

浜松市の龍雲寺に入寺後、小学生100名のサマースクールや、世界の子どもにワクチンを送る万灯会など、社会貢献活動を行う。

2010年より、静岡県西部で費用をかけず、安心した出会いの場を提供しようとお寺での婚活「吉縁会」を地元の若手僧侶とはじめる。2015年からは東京、2016年からは名古屋・岐阜・大分・仙台でも開催。現在、会員は10,500名。成婚は260名以上と大きな成果を上げる。僧侶という立場で、独身世代と向き合い、多くの縁結びをお手伝いする。2018年春、 龍雲寺 第22世住職となる。

永代供養・樹木葬・坐禅会紹介『龍雲寺』
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