恋に効く、仏教 Vol.21
第二十一話
欲しがれば飢え、
与えれば満たされる
2016.09.28
先日、Facebookで繋がっている偉いお坊さんが、投稿の中で、この動画をシェアしていました。この話は、たとえ話として、仏教のみならず世界中で語られている有名な話です。
動画になっていて非常にわかりやすいのでご紹介します。
僕は、ひろさちやさんの本で、もう少し仏教的になっている話を読んだことがあります。
この動画を見ていただければ今回言わんとするところはわかると思いますが、
私たちは、幸せな場所、極楽の世界を常に追い求めますが、
これは場所の問題ではありません。
どのような行いや気持ちでいるかで、
今日皆さんがいる場所が、極楽の場所なのか、地獄の場所なのかが決まってくるのです。
腹をすかせた人たちに前に、美味しそうなスープがある。
手には長いスプーン。
長いスプーンなので、スープを掬う事はできても、長すぎて自分の口に入れることはできず、
目の前に食べ物があるのに飢えている。
目の前にスープがあるのに、腹を空かせ、イラつき争っていく。
一番つらい状況です。
まさに餓鬼の姿です。
私たちの日々と同じです。
足元を見れば、幸せなこと、足りていることはいくらでもあるのに、
目の前に幸せはあるのに
それに気づかずに不幸だと悩む。
無駄なことで争い生きていく。
遠くに幸せを欲し求め続ける
私が私が
俺が俺が
欲しい欲しい
食べたい食べたい
私たちは常に欲しがって過ごしています。
外へ外へ幸せを求めます。
そして常に飢えている状態で過ごしています。
足りない足りない
不幸だ不幸だ
だけれども、それらの心を満たすのは、
スープがたくさんある場所でも、
使い勝手のよいスプーンがある場所でもないのです。
ただ、自分のスプーンで掬ったスープを、隣の人に食べさせてあげればいいのです。
すると、相手も食べさせてくれて。
お互い腹を満たすことができるのです。
単純なことです。
欲しがるのをやめて
求めるのをやめて
与えればいいだけです。
不思議なものです。
欲しがれば欲しがるほど飢えていき
与えれば与えるほど満たされていく。
欲しがっているうちは
欲しいものを手に入れたとしても、すぐに次のものが欲しくなり、それを手に入れても、また次のものが欲しくなり
欲しいと言っているうちはずっと飢えているのです。
欲しいという思いを止めれば、
あっという間に飢えから抜け出して
満たされるのです。
欲しいという思いから抜け出し
足りている事に目を向ける
まずは、これが第一
そして、第二に
隣の人に与える
通貨価値での損得に縛られ、
ギブ&テイクの思いに縛られ、
見返りの心に縛られ、
なかなか純粋に差し上げることのできない私たちですが、
まずは与えてみる。
差し上げてみる。
すると、この逸話のように、
結果的に私たちは満たされていくのです。
場所や状況が問題ではないのです。
思い一つで、今の場所が満たされる場所か、飢える場所かが決まるのです。
結婚したい、恋人がほしい
いろいろな思いがありますが、
まずは、人間として幸せになりたい
という思いが第一でしょう。
幸せになるには、
場所や条件、状況は関係ないのです。
同じ場所でも
与えれば満たされ幸せになれるのです。
地獄、極楽
地獄、天国
場所の問題のようですが、
地獄だと思っている場所も、与えれば満たされる極楽な場所になるのです。
幸せになりたいと思うなら、
状況や、条件を変えることばかりにとらわれるのではなく、
自分の思いを変えてみれば
今日この日から、
皆さんが過ごすその場所がそのまま極楽になるのです。
幸せに生きている人は輝き、魅力的になり、
相手の良い面も見ることができ
結果的に、良いご縁があるのだと思います。
与える生き方しませんか?