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恋に効く、仏教 Vol.25

恋に効く、仏教 Vol.25 除夜の鐘クレームから考え直す
年末年始の過ごし方

2016.12.28

最近ネットのニュースなどで、
除夜の鐘をうるさいと言ってクレームを言う人が多く、除夜の鐘が中止に追い込まれたお寺がある。
というニュースが世間を騒がせています。
 
これに対する
多くの方の反応は、
・クレームをつけるなんておかしい
・風物詩を理解できないとは・・・
・お寺が先にあり、後で住んだくせに
・おかしな時代になったものだ
 
というものでした。
 
 
でも、僕としては多少違う解釈をしています。
 
実は、この手のクレームは昔から非常に多くありました。
 
うちのお寺でも、
過去は朝6時、夕方5時に毎日鐘を撞いてきました。
 
ただ、40年ほど前、高度成長期の頃に、
連日クレームが来るようになりました。
 
近くに大きな自動車工場があるのですが、当時は24時間ラインが稼働していたので、
夜勤明けの方が、家に帰り眠りにつこうとすると
ゴ?ン!ゴ?ン!と
 
寝られない!
 
と言うわけです。
 
そのクレームは連日続き、
最後には放火予告まで来るようになり、
ついには朝の鐘を止めることになりました。
 
創建以来650年続いたものが途絶えてしまいました。
 
ただ
その当時の人たちは、
鐘はやめたほうがいい
という意見が大半でした。
 
 
先ほどのクレームに対する現在の人たちとかなりリアクションがだいぶ違います。
 
高度成長期は、経済最優先。
お金を稼ぐことが正義。
 
という風潮の真っただ中にあり、
さらに
文化的な行事など風当たりも強く
地域や家で行われてきた多くの行事は風化していきました。
 
新しい考えが素晴らしく、
歴史的な考えや行事は
古きしきたりとして追いやられていきました。
 
 
今の時代の人たちは、
経済的な幸せに浸ることが難しくなり、
 
心の幸せが大切だ
 
という本来の幸せを求める傾向にあり、
その中では、その様なクレームは異質に映るのでしょう。
 
現在の社会を
おかしな時代になってきた
という風に感じるかもしれませんが、
 
その様なクレームは昔からあり、
もっと言えば昔の方が酷いものでした。
 
ただ、それに対する周りの思いが変わってきただけだと思います。
 
 
ただ、この一連の騒ぎの中で
大切に思い直してほしいのは
 
除夜の鐘の風物詩としての価値ではなく、
 
年末年始をどの様に過ごしていくか?

 
という事です。
 
 
高度成長期に多くの行事を私たちは捨ててきました。
地域の繋がりも崩壊させてきました。
 
家族で餅をつく事もなくなり、
新年に今年の誓いを書き初めする事もなく
 
なんとなく日常の延長の中で
年末年始を過ごしています。
 
長期休暇の一つとして捉えているだけです。
 
 
やはりそれではダメだと思うのです。
 
 
年末は、
今年一年の自分の生き方を見つめなおし、
これで良かったのだろうかと反省し
年が明ければ
正しく素晴らしく生きていく為に、
どの様にしたらいいのだろう。
この様に生きていきたい。
と誓いをたてる。
 
しっかりと心に反省し誓う時間を過ごさねばいけないと思うのです。
 
 
心の時代になったと思います。
 
それは良い事のようですが、
心次第の時代という事です。
 
 
私たちは、正しく生きていく為に
自分を見つめなおす場として行われてきた多くの行事を捨ててきました。
 
残っている行事も本来の意味を失いイベントとして残っているだけです。
 
昔は、様々な行事やしきたりが私たちを正しく生きるのを支えてくれていました。
行事が正しい心へと導いてくれていました。
 
 
今は、行事のサポートはありません。
 
年末年始でも、多くのお店は営業し、
おせちは通販で買えて、
お餅は年中食べられる。
 
何も思わなければ、
いつもの日常と何も変わらず生きていく事が出来ます。
 
そんな現代の年末年始。
 
あなたはどう過ごすのでしょう?
 
 
大晦日に一年をしっかり反省し、心に懺悔の念をしっかり持ち、
元旦には、素晴らしく生きるためにしっかり心に誓いの思いを持つ。
 
 
何も思わず過ごす年末年始と、
心に誓う年末年始。
 
一歩目が違えば、必ずゴールも違うはずです。
 
来年の大晦日。
必ず違う結果になっているはずです。
 
何事も節目は大切です。
 
 
周りや行事が、その節目での心の誓いを促さない時代。
残った行事もイベントとして行われるだけの時代。
 
自分で行うしかありません。
 
人間は弱く、自分でなかなか正しく有れません。
それを陰で支えていた行事や繋がりがない時代。
 
難しいですが、
自分で自分をたしなめて
 
自分で心に誓うしかありません。
 
ご自分の為です。
 
 
イベント化した行事は、楽しいから残っているだけです。
面倒くさいけど大切な行事の多くは廃れていきました。
 
 
除夜の鐘のクレーム騒動を、
 
除夜の鐘というイベントが大切だ。
風物詩だ。昔からやっている。
 
という思いだけで、
この行事を続けていくのは無理があります。
 
鐘は自身の煩悩を払い、新年清らかに進みたい願いであると同時に、
 
鐘を聴くすべての人の心をも救いたいという願いの音です。
 
その様な願いの思いの中で
本来の心に誓う思いの中で
鳴らすその音色なら
 
クレームを言う人の心をも救うのかもしれません。
 
 
面白い。楽しい。
毎年やってる。
 
これだけで鳴らす鐘では、
やはりうるさいのかも知れません。
 
 
心の時代。
心次第の時代。
自分次第の時代。
 
ある意味では、
油断すればわがまま放題の時代。
 
あなたは
この節目にどのような思いで過ごしますか?
 
 
 
追伸
うちのお寺、龍雲寺ではこの節目に優しい想いを持ち、世の中の人の優しさにも触れてもらいたいと
いのちの万灯会を毎年除夜の鐘と同時に開催しています。
一灯300円寄進すると、自身の諸願成就のほか、世界の子供10人にワクチンを送ることができます。
 
これも、ただワクチンを送るなら現金で集めて送るほうが効率的ですが、
この節目に素晴らしい想いで過ごしてもらいたい。
人々の優しさに触れてもらいたい、との願いで行っております。
毎年1500もの灯篭が寄進され境内を優しい灯りで包みます。
良ければご協力ください。
 
うち以外にも
多くのお寺は、昔と変わらず、
心に向き合い過ごす場として今も変わらずそこにあります。
 
自分だけで自分自身の心を支えられないなら、
お寺においでください。
 
お寺はずっと前からそこにあります。
 
 

Writer Profile

木宮 行志
木宮 行志Koushi Kimiya

お寺婚活「吉縁会」事務局長 / 龍雲寺住職

浜松市の龍雲寺に入寺後、小学生100名のサマースクールや、世界の子どもにワクチンを送る万灯会など、社会貢献活動を行う。

2010年より、静岡県西部で費用をかけず、安心した出会いの場を提供しようとお寺での婚活「吉縁会」を地元の若手僧侶とはじめる。2015年からは東京、2016年からは名古屋・岐阜・大分・仙台でも開催。現在、会員は10,500名。成婚は260名以上と大きな成果を上げる。僧侶という立場で、独身世代と向き合い、多くの縁結びをお手伝いする。2018年春、 龍雲寺 第22世住職となる。

永代供養・樹木葬・坐禅会紹介『龍雲寺』
寺コン・お寺婚活『吉縁会』

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