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恋に効く、仏教 Vol.31

恋に効く、仏教 Vol.31 第三十一話
心の余裕があったなら

2017.06.07

先日お寺に少し変わった来客がありました。
 
玄関に入るなり
「おい!坊主いるか!?」
 
この時点で少し厄介な人が来たな、と思いながら玄関に出ると
 
半年ほど前にお葬式のあったお宅の40歳過ぎの娘さんでした。
 
少し引きこもりがちで精神的に参っていると聞いていた娘さんです。
 
「おい。今日仏壇にお経読みに来い!」
 
すごい高圧的な物言いになんだか良い気持ちがしません。
 
「なんか命日か何かありました?」
と聞くと
 
「母親の誕生日だから仏壇でお経を読め!」

 
誕生日のお経? 聞いた事ありません。
しかも、お母さんは健在で亡くなっていません。お元気です。
 
どうしたもんだろう?
と困っていると
 
「なんで読めないんだ!」
と立て続けに攻めてきて
 
「お父さんをあの世に送ったお経をお母さんにも読め!」
 
と。
 
健在のお母さんをあの世に送るお経なんてありませんし、縁起でもない事ですので、
 
そんなお経ないし、少し難しいとお返事すると
 
玄関で大暴れ。
 
酷い剣幕で坊主この野郎!と。
 
これはもうどうしようもないと
お家に電話して来てもらう事に。
 
暫くして80歳を超えるお母さんが迎えに来て
すいません。すいません。
と言いながら、娘さんと帰っていきました。
 
30分くらい経った後、
もう一度お寺にお母さんが来られ、
娘さんは、
精神的に参っていて数年間、自宅にずっといるが、家を抜け出してお寺に来たという事でした。
 
話を聞くと、
普段お母さんに迷惑をかけっぱなしの娘さんが、
 
お母さんに何かしてあげようと
思い立ち、仏壇でお経を読んでもらおうとお寺に来たようです。
 
お母さんは、
「わたしゃ、まだ生きてるのにお経なんて縁起悪いし、嫌だ。すいませんね。迷惑おかけして」
と言いながらも、
娘が自分の為に何かしようと思い立った事に少し嬉しそうでもありました。
 
その恥ずかしくも微笑む母の顔を見て
私は本当に恥ずかしくなりました。
 
 
 
 
私はなんて馬鹿だったのだろうか。
 
娘さんのお母さんへの想いに目を向けず
 
自分に対する暴言に腹を立て
その怒りの心のフィルターを通し、娘さんを見て、
精神的に参っている人だからと、
偏見の心で相手の行動を異質のものだと決めつけ
 
純粋な母への愛に目を向けなかった。
 
ホント馬鹿だった。
 
どんな形でもやってあげれば良かった。
 
自分の愚かさと申し訳なさで反省し
落ち込んでおりました。
 
 
そんな時
 
「おい!坊主!
 お前が家に電話したから怒られただろ!」
 
ものすごい大声で娘さんが玄関より入ってきました。
 
「家じゃできないから、寺でいいからとっととお経読め!」
 
またも、すごい強い言葉で
反省しかかった自分の心も再び怒りに身をゆだねそうになりましたが、
 
「わかった、わかった。じゃ本堂で読むから」
と言い
本堂に娘さんを上げて、お経の準備。
 
準備中も娘さんは
 
「とっととしろ。あの世に行けるようにしっかりと誕生日のお経読むんだぞ!」
 
と。
どんなお経をどのように読めばいいか全くわからない中、
 
静かにお経を読み始めました。
 
お経が始まると娘さんは、
「やっと始まった」
と一言言った後は、静かに座っていました。
 
10分くらい経ったでしょうか?
 
とりあえずお経を読み終え、
 
「終わりましたよ」
と声をかけると
 
娘さんは、今まで見たことのない様な
優しいお顔で
「ありがとうございました。これでお母さんも幸せだ!」
 
と言って、にこやかにお帰りになりました。
 
何のお経だったか、教義的に意味のあるお経だったのか、わかりません。
 
でも、娘さんは喜んでいました。
 
 
私は馬鹿でした。
 
娘さんの暴言の裏に隠れる母への愛に気づかず。
偏見の想いで相手を見て。
なんでもいいからお経を読んであげればいいのに、
生きている人の誕生日のお経なんてない。
なんて能書きを垂れて。
 
お経なんて、なんだって良かったのではないだろうか。
一緒に母の誕生日に母の幸せを祈りたかっただけなのに。
何もできず家にいるしかできない娘さんが悩みぬいて思いついた母への誕生日プレゼントの尊さに気づかなかった。
 
 
私に、
心の余裕があったなら。

 
突拍子もない行動だけど、
そこに確かにある母への愛と共に祈ることが出来たのではないか?
 
お坊さんは丁寧な言葉で接してもらう機会が多く、いつの間にか形成されたプライドが
暴言によって傷つき、腹を立てた。
 
意味のない、くだらないプライドで
母への愛を見損なった。
 
私は馬鹿だった。
 
心の余裕がなかった。
 
 
こんな非日常な状況はあまり訪れないかもしれません。
 
でも、
日々心の余裕をもって過ごしていれば
 
無駄に腹を立てたり、
相手の真意を読み間違えたり、
相手を曇った目で見ないのです。
 
心の余裕があったなら。
 
今日一日のお過ごしも少し違ったかもしれません。
 
私たちは坐禅をします。
 
一日一度静か坐って身と呼吸と心を調えます。
 
少し落ち着いて
心を見つめ、
 
今自分が落ち着いていないのか、
イライラしてるのか、
プライドに支配されてないか、
わがままになってないか
 
指差し確認して
 
ただ止まって静かに座ってみる。
 
 
心に余裕があったなら
日々の暮らしは変わるはず。
 
心の余裕を作るのは
今の日常を変えずとも
 
一日一度静かに坐るだけで訪れます。

 
恋愛でも、
結婚生活でも、
仕事でも、
友人関係でも、
 
心に余裕があったのなら
問題にならなかった事が多くあるはずです。
 
 
自分の心を見つめる時間を持ちましょう。
 
 
心に余裕を持つ。
 
そこから始めませんか?

Writer Profile

木宮 行志
木宮 行志Koushi Kimiya

お寺婚活「吉縁会」事務局長 / 龍雲寺住職

浜松市の龍雲寺に入寺後、小学生100名のサマースクールや、世界の子どもにワクチンを送る万灯会など、社会貢献活動を行う。

2010年より、静岡県西部で費用をかけず、安心した出会いの場を提供しようとお寺での婚活「吉縁会」を地元の若手僧侶とはじめる。2015年からは東京、2016年からは名古屋・岐阜・大分・仙台でも開催。現在、会員は10,500名。成婚は260名以上と大きな成果を上げる。僧侶という立場で、独身世代と向き合い、多くの縁結びをお手伝いする。2018年春、 龍雲寺 第22世住職となる。

永代供養・樹木葬・坐禅会紹介『龍雲寺』
寺コン・お寺婚活『吉縁会』

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