「生きるってどういうことだろう?」「幸せってなんだろう?」
そのヒントがあるのではと、宮本亜門さんとブータンをおとずれました。
10泊 11日のブータンの旅。
その旅はあまりにも新鮮で、あまりにも清々しくて・・・・・・。
今回の旅で、素晴らしい贈り物を、たくさんもらいました。
それらをぜんぶ素直に届けます。
それが、WEBマガジン・ハタラクだからこそ、できることだと思ったので。
全20回のブータンストーリー。
毎週日曜日に更新中。
あなたもブータンをとおして、幸せを、生きることを、感じてください。
カディン チェ ラ(どうもありがとう)!!
12月21日
生きてることが幸せ。
少年僧プムくんの家での新年のお祭りに続いて、今日は、パロのナムカラカン村のお祭りに参加します。
ブータンでは一年を通して、各地で多くのツェチュ祭や、お祭が催されています。
『ツェチュ』とはチベット文化圏の寺院の祭りのことを指し、「(月の)十日」を意味します。これは、紀元後八百年前後にチベット仏教を流布した、グル・リンポチェにちなんでいるそう。グル・リンポチェの生涯には十二の重大な出来事が起き、各月の十日に、その月に該当する出来事の法要を行うのです。
また、各お祭りは、僧によって踊られる仮面舞踊、村人の歌や舞踊、道化師アツァラの登場や、トンドル(観るだけで解脱ができると言われているご利益のある大掛け軸)のご開帳など、長年にわたり、ブータンの人々が守り続けている大事な宗教行事。同時にGNHのひとつ「文化の継承」の役割も担っています。
そして今回、わたしたちが参加したお祭りは、ブータンを守る三人の神様が登場し、村人を守るためのお祈りを捧げ、最終的には人を象ったお供えものに悪霊を入れて燃やすというストーリー。
お祭り会場のお寺に、続々と民族衣装を纏った村人が集まってきます。亜門さん、お祭り前、どんな気分ですか?
「みんなタラ~っとしてるなぁ(笑)。お祭りのはじまる時間は、占星術で決まるんだって。その時間のルーズが返って新鮮だよね。どう展開するのか、稽古時間が分単位で決められて来た僕には 想像できないなー」。
そしてしばらくすると、民族楽器の演奏が合図となって、緩い雰囲気の中、お祭りがはじまりました。
日本でいうところの氏神様が祀られた神社のように、ブータンにも各村ごとに氏神様的存在のお寺があり、お祭りが開かれます。艶やかな色合いの衣装を村人たちが着て、お祭りに参加。大きな仮面の舞踏には歓声もあがり大盛り上がり!
終始のんびりとした空気が流れ、絶えず踊り続け、村人たちは笑い続け、お祭りはゆっくりゆっくり進み、2時間もたったころでしょうか。大きな声を挙げ、お供え物を燃やす場面に。
「このお祭りの中で、チベットの方角にある山脈のほうに、もちを投げたり、雄叫びをあげたり、お供え物を燃やす場面があったよね。『チベットがこれ以上攻めて来るなよ』と叫んでいた。ブータンの人たちとっては、チベットとか、インドとか隣国から攻められることが、苦い過去にあり、これからもいつでも起こりえる、この小国を守る意味合いがあるお祭りなんだとわかったな。
実は、さっきお祭りの最中にある老人が話しかけてきてくれてね。ブータンの軍隊を30年前に引退したという方でいろいろ話してくれたんだ。
『ここはいつまた何が起こるかわからないんだよ』って。『今の幸せが永遠に続くとは誰も分らないとね』と。
そして『だからこそ、自分たちが今、こうして守られていることがたまらなく幸せだ。ブータンでは軍隊に入ることは義務ではないけど、参加したんだ。ここが今、平和な状態であることが嬉しくてね』って言ったとき、あーこの人たちの平和とは、ただぬくぬくとつくったものじゃない。大国に挟まれて生きてきた歴史の中で、必死に知恵を使って、守ってきたことなんだと。それを今も実践しているのが、国王で、国王がすべてをわかっているから、新たな政治的関係を諸外国と連携し、ちゃんとこの国を守り続けてきたんだ。そういうことが「幸せ」を打ち出す大きな鍵になっているんだと」
と、村のお祭りを介して、ブータンの歴史が抱えているものを知った亜門さん。
実は2003年にブータン南部に立て籠っていたアッサム・ゲリラを国外に駆逐するために、第四代国王は最大限話し合いで解決しようと、国王自身が話し合いに度々出かけ、出来る限りの平和的鎮静を行ったそうです。しかし結果は、相手は話し合いを拒否。その後、国王の采配でわずか二日の戦いで終りをむかえたそうです。つまりブータンは最近まで戦いの歴史を紡いでいた国でもあるのです。
このような背景を知って、亜門さんは思いました。
「『自分たちが愛すべき場所、そして愛すべき人々を、大切に守る』という国王の強い思い。特に第四代国王の頭の良さ、また、ブータンの憲法を定めるときに四代国王が全世界の憲法をすべて読んで勉強してから決めたという話を聞いて、先進国の人たちも見習うべき、新たな考えかたが、そこにあるような気がしますね」。
お祭りに参加していた元軍人の村人、国王の功績、実際のブータンの人々の発言と、日本ではなかなか聞くことのできないことを知り、亜門さんのなかでブータンをとおしての幸せの尺度も、より明確になってきたようです。
そして亜門さんは続けます。
「正直言うと、少年僧のプムくんの家のように、お父さんがいない環境で、そんなに裕福ではない状態というのはわかるから、『失礼なことをしてしまうと、悪いなー』と思っていたんだ。
でも、やっぱりプムくんのお母さんが『心から幸せだ』って言うんだよね。新年の準備もそうだけど、言いかたは悪いけれど、どんな些細なこともすごく楽しそうにやっている。何かがないとか、足りないとか、もっともっとということを言わない。もちろん僕みたいな彼らにとっての外国人に、それを言ってもしょうがないけど『生きてることが幸せだ』って本心から出てるから驚くんだよね」。
些細なことでも、楽しんでいる姿。そこにブータン人の本質があるのでしょうか、亜門さん。
「『今、こうして生きていられることが幸せ』って、大きなところで捉えると、つらいことも、些細なことも、ぜんぶが宝物のようにしているように感じるね。
『もっともっと』の、欲で生きてないからね。きっと『痛みさえも、自分たちが乗り越えられれば それが幸せになるんだから、痛みそのものも幸せです』って言っているようで。これが負け惜しみじゃないから驚くよ。
今日のお祭りから知ったブータンの歴史と今の幸せ、より鮮明にブータンを感じれるようになった気がするな」。
そしてブータンへの印象も、日に日に亜門さんのなかで変化を遂げているようで・・・・・・。
「“表面的な幸せ”なのかなと思ったら、まったく違った。
貧しいから可愛そうで、幸せではないなんて見るのは、きっと先進国の傲慢な考えかた。幸せは、お金では本当に判断できない」。
カディン チェ ラ!
優しすぎるっ(感涙)
人に優しくしたいと思っても、なかなかできないことって、多くありませんか? なんで優しくできないんだろうって。その答えが、ブータンで見つかったんです。
自分に余裕がないと、人には優しくできないと。余裕がなければ、体に無理を強いたりと、自分にさえもきついことをしています。
ブータンのように、生まれた時から自分自身と向き合う生きかたをしていると、「こんなにも優しくなれるの!」というエピソードをご紹介します。
今回の取材の途中で、お世話になった少年僧のプムくんと、妹のデマちゃんの話です。亜門さんがテレビの取材や、ハタラクの撮影をしていたところ、着ていたセーターにチクチクした植物がたくさんくっついてしまいました。
すると、彼らふたりはおもむろに、ニコニコしながら亜門さんに近づき、セーターについたチクチクを一個ずつ取ってくれたんです。しかも楽しそうに。
この優しさに亜門さんも感動しきりでした。
優しさって自然と溢れてくるものなんですよねー、本当は。