Vol.96台湾から来た白い犬の日記
北欧旅行記(33)
デンマーク女王様って?
2016.02.22
こんにちは Cocoです。この日2人の最初はコペンハーゲン市庁舎へ。この市庁舎は無料開放されていて誰でも好きな時に入ることができるそうです。ストックホルムは有料でした!
ただし、タワーの部分だけは有料ツアー参加でないと入れないそうです。この建物は1892年に建設をはじめ、市庁舎としてオープンしたのは1905 年。
Copenhagen City Hall
Rådhuspladsen 1
1599 København, Denmark
次に行ったのは丸い塔。17世紀に天文台の目的として建てられた塔でして、中がらせん状の坂道になっていて、ぐるぐる回りながら上へ登っていきます。
結構急な勾配になっていて、それも石畳なので歩きにくくてっぺんまではかなりいい運動になります(汗) 教会と一体になっている建物でした。
The Round Tower
Købmagergade 52A
1150 København, Denmark
この次に行ったのはローゼンボー城。この城は夏の離宮で1606年に建てられたそうです。内部を一般公開しており、地下には宝物館があるというので行ってきました。
デンマーク王家の本物の王冠と王笏がるので厳重装備。イケメンの衛兵がこのお城を護衛していました。
それではここでデンマーク女王についてのおさらい。
『マルグレーテ2世は、 デンマーク女王(在位:1972年1月14日 - )。妹が2人おり、末妹のアンネ=マリーエは元ギリシャ国王コンスタンティノス2世の妃である。ナチス・ドイツのデンマーク侵攻からわずか一週間後、当時 皇太子だったフレゼリク9世の長女としてアマリエンボー宮殿で誕生した。
Rosenborg Castle
Øster Voldgade 4A
1350 København, Denmark
母はスウェーデン王女イングリッド。当時王位継承は男子のみであったデンマークでは、王太子の娘たちには王位継承権はなかった。しかし、フレゼリクとイングリッドの間には、女子3人が誕生したものの男子は授からなかった。この時点では、フレゼリクの弟クヌーズ王子とその息子たちに王位継承がなされるはずであったが、クヌーズ王子よりもフレゼリクと娘たちの国民的人気が非常に高かったことから、フレゼリクに男子ができる事が望み薄になるにつれて、王位継承の 変更を求める国民の声が高まった。
これに後押しされる形で、1953年に行なわれたデンマーク王国憲法と王位継承法の改定により、男子優先ながら、男子のいない場合には女子にも継承権が認められ、弟のいないマルグレーテは13歳で法定推定相続人となった。ケンブリッジ大学、パリ大学(ソルボンヌ)、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス で学んだ。 オーフス大学 (Aarhus Universitet) にも在籍した。
1967年6月10日、フランスの伯爵家の出身で外交官のアンリ・マリ・ジャン・アンドレ・ド・ラボルドゥ・ド・モンペザと結婚。結婚に際し、アンリには 「ヘンリク王子」の名と称号が与えられた。披露宴はフレゼンスボー城で行なわれた。1972 年、父王の死去に伴い女王に即位した。以降国家元首として公務に取り組む。
デンマークでは初の女王であり、実質的な女王であった摂政マルグレーテ1世から でも560年ぶりである。また、クリスチャン2世以来デンマーク王の名前はクリスチャンかフレゼリクであり、これら以外の名前の王は459年ぶりとなる。』 (WIKI丸写しですが・・・・・・)なんて勉強になる日記なんでしょう(オホホ)