Vol.11本道佳子マネージャー日記 3人目の魔法使い
2015.03.05
前回のvol.10で「食感のグラデーション」と書いていたときに、思い出したことがあります。それは、数年前に本道さんが出したお料理本を読んでいたときのこと。
サラダのレシピに、「最後に粗塩を振りかける」という工程があり、そこにこんな言葉が添えてありました。
「塩がかかっていたりいなかったり。味の違いを楽しんで。」
それまでの私は、味を均一につけることが当たり前だと思っていたのです。
それどころか、どこを食べるかによって味が違うなんて、味にムラがあるってことになるからよくないんじゃないかって。
でも、その言葉を見てハッとしました。
あぁ、味って均一じゃなくていいんだ、と。
とはいえ、そのときに頭で理解していても、すぐに実践できるわけではないんですよね。
自分で料理をしていると、どうしても万遍なく味をならしてしまうというか。
あえてひとつのお皿の中で味の違いをつくり、それを食べる人に楽しんでもらおうと思えるまでには、けっこう時間がかかりました。
でも、最近になってやっと、自分でも体感的にそういうことが楽しめるようになってきて。
ふと、本にあった言葉を思い出したので、満を持して本人へ聞いてみました。
「本道さん、『あえて味の違いを楽しむ』って書いていましたけど、あれはなぜですか?」
それに対する本道さんの答え。
「あー、それはですね、食べるたびに味が違うことで、その人の体の色々な部分が反応する気がするんですよ。
一口食べたときは左胸辺り、次の一口は右脇腹あたり、みたいに。
そうやって味の高低差みたいなものを口の中で感じると、同時に体の中もポコッポコッと反応して、細胞にも高低差ができるというんですかね。
そして、ある瞬間に、体の中でサーッとグラデーションみたいになって、その人の中に滞っているものを、スーッと流していくような気がするんです。」
聞いた瞬間、ほーーー!ですよ。今書いていても、ほーーーっ!ですけど。
そして本道さんは、こう続けました。
「『みんな同じであることが良い』っていう、日本の教育の影響ですかね。
日本は、料理をするときも均一に味付けをして、それが一番いいって思っている人が多い気がするんです。
でも、ひとつのお皿の中で、味の違いを楽しんだっていいと思うんですよねー。
『今食べたところは塩がよく効いていたな』とか、『今度はちょっと甘いな』とか。
お野菜だって、産地やつくり手が違えば味も違うし、ひとつのお野菜の中でも、どの部分を食べるかによって味が違いますしね。
周りの人と違ったっていいんだ、個性って楽しいことなんだー、って思えたらいいなぁって。」
この言葉を聞いて、私の中でもサーっと何かが流れた気がしました。
大人になった今、「みんな同じがいい」なんて思っていたつもりはないけれど。
心のどこかで、同じであること・均一であることへの安心感みたいなものが染み込んでいたのかもしれません。
もちろん、同じであることがいけないわけではないですしね。
同じでもいい、違ってもいい。
そういう自由さを持つことがきっと大切なんだなぁ、としみじみ思うと同時に、料理の中に、そんな素敵な仕掛けをする本道さんは、やっぱりすごいなぁと思ったわけです。
そしてそして。
この話を聞きながら、本道さんってやっぱり魔法使いみたいだなぁと考えていました。
みんなが気づかないうちに、効き目のあるスパイスを料理の中へそっと仕込んでおくところとか。まさしく、という感じがしませんか?
そんなときに思い出したのです。
私が小さなときに読んでいた本のことを!
大好きなシリーズがふたつあって。
そのどちらにも共通するのが『主人公であるチャーミングな女性が、魔法を使ったように魅力的な料理を次々とつくり出す』こと。
そのシリーズはまったくの別物なのですが、どちらの女性も本当に楽しそうに、歌いながら、時々食材とともに踊りながら、それはもう、たまらなく美味しそうな料理を、子供たちのためにつくり上げていくのです。
本道さんはまさに、その本から飛び出してきたような人。
だから私は、本道さんの料理を見ていてこんなにもワクワクするんだなぁと、とても納得しました。
私にとって、3人目の魔法使い、とでも言いましょうか。
ということは・・・。
あのときの本が、私にワクワクをくれたみたいに、私も皆様にワクワクをお届けできるのかも・・・・・・。そうしたい。 いや、そうしよう。
そう心に決めたのでした。
かぼちゃでつくったパテをのせたカナッペ
ピンクに染めた切干大根とクスクス