Vol.15本道佳子マネージャー日記 特別なごはん
2015.04.02
前回vol.14で、湯島食堂へ初めて行ったときのこと、本道さんと初めて会った日のことを書きました。当時の私は、まだIT会社勤務。
その会社で、業務とはまったく別に社内ブログみたいなものを書いており、自分が出会った素敵な人や出来事について、毎朝始業前に発信するという試みをしておりました。
始めた当初は、仕事に関連した話を書いていましたが、だんだんと道が逸れまして。
仕事のこともプライベートのことも書くようになりました。
湯島食堂に行ったのは、このブログを始めた約半年後。
この時感じたことを残しておかなければ! という強い衝動に駆られて、書いちゃいました。
「自分のために」つくられた料理というのは、やはり格別なものであるということ。
それは、自分自身でつくったものでもいい。家族や友人がつくってくれたものでもいい。
コンビニやスーパーで売られる、不特定の『誰か』のためにつくられたものや、レストランの調理場で、顔が見えない『お客様』のためにつくられたもの。
それらと「『この人』のために、美味しくつくりたい」という気持ちが入った料理はどこか違う。
たとえ食材や調理の腕が劣ったとしても、それは特別な味わいを持っているような気がする。
こんな感じのことを書いたわけです。
当たり前ように見える毎日に、実はいろいろな形の幸せがいっぱい詰まっているのだと思う、ということも。
そうしたら、よくブログを読んでくれていた先輩がメッセージをくれました。
「今日のブログを見て、実家に帰ってご飯を食べたくなった。
親が自分のために料理をつくってくれる、それだけで特別なんだよね。」
この感想が、私にはとても嬉しかったのです。
先輩のこの言葉には、大切なことがすべて凝縮されている気がして。
こんな話をした2週間後、業務中に1通のメールが。
何気なく開いたそのメールに書かれていた言葉を見て、私の頭の中は一瞬白くなりました。
それは、先輩のお母様が急逝されたという連絡でした。
驚きやショック、戸惑いとともに、私が咄嗟に思ったこと。
それは、『先輩は、お母さんのご飯を食べられたのだろうか』、ということ。
もちろんその時のタイミングで、そんなことを聞くわけにはいきません。でも、とても大切なことのように思えて、ものすごく気になりました。
一方で、さすがにこの2週間のうちに、実家に帰ってご飯を食べてはいないだろう・・・・・・とも思っていました。
いろいろな思いが複雑に交錯していたその日の真夜中、突然鳴り響いた携帯の着信音。
届いたメールの差出人は、その先輩でした。
どぎまぎしながら開いたそのメールには、「一言お礼が言いたくて」という書き出しとともに、こんなことが。
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特別なごはんという話をした後、1回だけ母親の手料理を食べることができました。
そのときは最後だと思っていなかったけど、亡くなる前に特別だと気付けて本当に良かった。
母親にそれを伝えられなかったのが残念だけど。
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そして、そのメールは、「ありがとう」という言葉で締めくくられていました。
フナクリ食堂のお話のときにも書きましたが、ご飯の味を完成させるのは食べる人だと思っています。
だからこそ、たとえ言葉で伝えていなくても、先輩が特別な気持ちで食べたお母さんのごはん、結果として最後となったその時の食卓は、間違いなく素晴らしいものであったと思うのです。
本道さんは、時々こう言います。
「どんなにすごいシェフの料理でも、おうちで『この人のために』ってつくられたごはんには、かなわないんですよー。」
皆さんにこのことを気付いて欲しいから、自分は日本中・世界中を回って料理をしているのだと。
当時の私は、本道さんのこうした想いを知りませんでした。
でも、本道さんの想いは、私を経由して、先輩へと繋がれていったのでしょう。この時の先輩の一連の言動は、何よりもシンプルで、でも何よりも大切なことを私に教えてくれた気がするのです。
同時に、本道佳子という人が、料理人という枠を超えて世の中に伝えようとしているメッセージを、自分の中に落とし込む最初のきっかけにもなりました。
先輩がその時食べた「特別なごはん」はきっと、その心や体に深く刻まれていることでしょう。
そして、日常に潜んでいる当たり前のような出来事が、実は特別だと気付くことができた人は、何よりも強い。そんな気がしています。
丸麦入りのご飯
北欧で定番と言われるきゅうりのサラダ