Vol.24本道佳子マネージャー日記
本道さんの子供時代
2015.06.25
突然ですが、本道さんの小さな頃の話をひとつ。とにかくポジティブで明るい、そして今や、世界を渡り歩いて料理をつくり続ける、本道さんの子供時代って、ちょっと気になりませんか?
本道さんのおうちは、お母さんが家庭菜園で育てた野菜を使って、ご飯をつくってくれるようなお宅だったそうです。
『あー、だから本道さんもお野菜の味がわかるのね』
そう思いますよね。
でも実は、そんなお母さんの手作り料理に反して「インスタントラーメンを食べたい!」と言うことも、何度もあったのだとか。
なんでも口にして、「これはおいしい、おいしくない」を自分の舌で試したがる子供だったそうです。
「どこのパン屋さんで、何時に、どんなパンが焼きあがる」というタイムスケジュールまで把握している小学生って、あまり聞きませんよね?
そして高校生の頃、お母さんが病気で突然亡くなったことから、本道さんは初めて本格的に包丁を握ることになります。
それまでほとんど料理をしたことがなかった本道さんに、お寿司屋さんをしていた親戚のおじさんが、包丁の持ち方から教えてくれると、みるみるうちに上達。
本道さん曰く、「味の再現をするのが得意」だったことから、お母さんがつくってくれた味や、どこかで食べたお気に入りの味を、再現できたそうです。
高校に持っていくお弁当を自分でつくったところ、同級生の分や、いつからか先生の分まで頼まれるようになって、たくさんつくっていったり、「教室でお弁当を食べるより、外で食べたほうが美味しい!」と言って、皆で裏庭で食べることを先生に提案して実現したり。
よく考えると、今やっていることと近いですよね。「ご飯をつくって、皆で楽しくご飯が食べられる空間を提供する」こと。
この頃から、「皆で楽しくご飯を食べる」ことを大切にする、本道さんの礎が築かれていたのでしょう。
ひょっとしたら、国境なき料理団の原点は、ここにあるのかもしれません。
とにかく食べることが大好きだった本道さんが、幼い頃から抱いていた夢は「世界中の美味しいものを食べること」。
小さな体で温めていたその夢をかなえるために、高校を卒業し、社会人を数年経験した後に、アメリカ・ニューヨークへと旅立ったのです。
なぜニューヨークだったというと、当時のニューヨークなら、世界中からありとあらゆる食べ物が集まって、世界中の美味しいものが食べられるはずだと思ったから。
そのニューヨークで実際に様々な料理を食べるうちに、「こんなにお金を払って料理を食べるより、全部自分でつくれたほうがいいんじゃない?」 そう思ったのだそうです。
こうして、「世界中の美味しいものを食べたかった」本道さんの夢は、「世界中の美味しいものを、つくれる人になる」ことへと変化しました。
食べることが大好きだった1人の少女から、「料理人・本道佳子」が誕生することとなったのです。
野菜でつくったシューマイ
大胆に盛られたお野菜たち