Vol.378ハタラクさんの毎日
道。
2016.01.03
仏門に帰依した友人がいます。今から4年前の3月に、その友人からメールが届きました。その時期、わたしは休職していて、友人も人づてにわたしの状況を聞いた様子でした。
それを心配してメールを送ってきてくれました。そしてその文面に、「得度することにしました」との一言が。
え!? と声も出ないほど驚き、念のため得度という言葉を調べました。
得度とは仏教における僧侶となるための出家の儀式。
そこから友人は仏門の道に入りました。
そして昨年、その友人と再会する機会がありました。短い時間でしたが友人の近況を聞いたり、こちらの話をしたり。
そんな中で、友人にこんな質問をしました。
「仏様の道に入って、一番変わった心の変化ってなに?」。
「この道だからといって、迷いや悩みがなくなるわけではない。よく『悟りを開く』と言うでしょう? あれは生きているうちはできないように思う。坐禅をしても、どんなに修業と言われるものを積んでも、迷いや悩みはどんどん浮かんで来る。きっと一生『無』の境地にはなれないと思う。それが人間なのでは。
でも大きく変わったことはある。
毎日、仏様の近くにいさせてもらうことで、目の前の悩みや苦しいなーと思うことが、とても小さなことに感じる。なぜなら何百年もの間、脈々と伝わる仏教を学び、何百年も前からある仏様に触れることで、たかだか数十年、長くて百年ほどの人生を送る自分という存在が悩むことなんて、とても些細なように思えるようになった。
そしてそれらを感じることで、この世はなるようになるようになっていると。すべては必然で、すべてはご縁だと思う。
その時は分からなくても、後から振り返ると『あー、こういうことのためにあの時のあれが起こったのだな』と分かる時が来る。そのようなことを前々から感じていたけれど、今、この道に入ってより一層強く感じる」
うーん、わたしの言葉で書いているので、本当はもっともっと慈悲深い友人の言葉だったと思うのですが・・・・・・。
友人の話を聞いて、それぞれの生きる道があって、その道がどんな道であれ、すべてはなるようになっていると。
新年のこの日に、友人の言葉が浮かんできたので記してみました。
どの道を選んでも、向かっている先はひとつのように感じますな。そしてその道はすべてご縁でつがっているのですな。
Relax & Enjoy♡