Vol.1230ハタラクさんの毎日
受け入れるまで、3
2018.05.03
友人の死を受け入れるのはあまりにも苦しく、一人ではどうにかなってしまうと思い、
尊敬している仕事の大先輩に聞いてもらいました。
先輩はじっと耳を傾け、
若すぎる死を悼み、生きている時間は有限であるからこそ
自分の人生を生きないと、と、友人の死を通して話してくれました。
友人の死を客観視できる立場だからこそのメッセージでした。
そうか、友人がいなくなったことで悲しく思うだけでなく、
そこから何を気づき、学ぶのか。
友人の報告を知る前に、自身の自立心のなさや
幼さに辟易していたわたし。
人生には限りがあること、
それならば自分の人生を主体性を持って、
本当の意味で自立して生きていかないのは
なんてもったいないことだろう。
自分のやりたいことがあって、形にしたいことがある。
好きなことがあって、そのために行動したいことがある。
大切な人がいて、その人と一緒に楽しい時間を刻んでいきたい。
でもそれらを社会や周囲の目、思い、概念などで抑え、
いい人、聞き分けのある人、そういう自分であることに
安心感を覚え、それが決して本意でなくても
「周りが、あの人が、納得して喜んでくれるなら
それでいいや」としていたことは、なんてもったいないのだろう。
自分には健康な体があり、思考もある。
支えてくれる人たちも、大好きな人たちもいる。
そしてわたしのことも応援してくれている。
こんなに恵まれた状況なのに、
自分の意思を二の次にしてごまかしていることは
なんてもったいないのだろう!
少しずつ、友人の死を自分の生き方と合わせながら
冷静に受け止められるようになっていきました。
感情にふりまわされるだけふりまわされ、
落ち込み、苦しく、自暴自棄になる。
そして第三者に聞いてもらうことで
自分を客観視できる。
そこからがスタート。