恋に効く、仏教 v02
第二話
誰と結婚しても、
幸せになれる
2015.09.23
今回は、お寺婚活「吉縁会」で、私が司会をする際に毎回最後に話していることを書きます。
ただ、ここで書いてしまうと次回以降の吉縁会の参加者に、「その話、読んで知っている」と言われそうですが・・・・・・(笑)。
いつも会の最後に、私は
「とにかく今日出会った人と誰でもいいので、どんどん連絡して3か月後には結婚しちゃってください。」
と言います。
参加者は、また冗談を、という顔で笑って聞いていますが、
実はこれ、冗談のような本気の話です。
私のばあさん(愛着を持ってばあさんと書きます)は、この3月に103歳という長寿をまっとうし亡くなったのですが、そのばあさんと、じいさんの結婚の話です。
ばあさんは、本家の血筋を守るため、2歳から両親の元を離れ、叔父さんの養女となり、寺に住んでいました。
一方じいさんは、非常に貧しい家に生まれ、小学校低学年の頃、まま母に口減らしの為に寺に捨てられました。その寺も貧しく、さらに和尚さん夫婦も入院していたので、毎朝一人でご飯をつくって、掃除をして、お経を読んで、小学校に行く生活をしていました。そんな生活でしたが、学問が好きで非常に勉強がよくできました。
しかし勉強をすると、和尚さんにゲンコツを食らって怒られたそうです。勉強をするとお金がかかるからです。なぜなら、勉強するには紙代や灯りの油代などお金がかかり、しかも明治時代の田舎ですから勉強するよりも畑仕事が大事。だから怒られたのでしょう。今の時代では考えられませんが。
でも、じいさんは隠れて勉強をして旧制中学に合格してしまいます。普通ならお祝いですが、また和尚さんから殴られて、「学費はどうすんだ!」と怒られたそうです。その時の学費は近くの大きなお寺さんに面倒をみてもらえたのですが、その時に「これ以上勉強しないように!」と言われたそうです。
それでもじいさんはまた隠れて勉強して、最終的には今の東京大学、当時の東京帝国大学に合格します。そして案の定、めちゃくちゃ怒られるわけです。
その後、紆余曲折するわけですが、いよいよ大学の学費の支払いが困ったという時に、一つの話が舞い込みます。
ばあさんとの結婚話です。
ばあさんは、寺の跡取りになるお坊さんを探していましたし、うちの寺は、すごく裕福ではなかったのですが、学費を払う余裕はあったので、跡取りになる代わりに学費を払うという話が、じいさんに舞い込んできたというわけです。
まぁ要するに金目的の結婚って事になりますね。
お見合いという形でしたが、ほとんど初めましての状態での結婚式。
さらに、結婚式の最中に、じいさんに文部省への入省が決まったという電報が来て、初夜もなく、じいさんは汽車に飛び乗り東京に行ってしまいました。
これだけ聞くと、最近の若い人たちからはドン引きされそうです。
なんてひどい結婚だ。
なんてかわいそうな出会いだ。
ひどい時代だ。
大体みんなそう言います。
それが今から3年前。
ばあさんの100歳の誕生会をやろうと親戚一同に声をかけたところ、孫曾孫含め総勢75名が集まりました。孫の一家族だけ来られませんでしたが、ありがたい事に、それ以外全員が集まって、お寺の本堂で、みんなで、ばあさんを囲んでハッピーバースデーを歌いました。
その時、ばあさんが言ったんです。
「私は幸せだった」と
あんなひどい出会いで、ひどい結婚式だったのに、幸せだったと言うのです。
振り返って私たちは、
出会いは大事だ。
素晴らしい条件の人と、
素晴らしい出会い。
条件、出会い・・・・・・。
と、あまりにも結婚に対して、入口にしか過ぎない出会いや条件に対して、非常に高いものを望んでいないだろうか?
もしかしたら出会いなんてどうでもいいのかもしれない。
あまり最初はいいと思っていなかったけれど、長い時間付き合って生活をしていくと、10年、20年くらい経って
「あら、この人結構素敵だわ」と思う、そんな形の二人でもいいと思うのです。
最悪の出会いで嫌々結婚したけども、振り返って幸せだと笑える生き方もある。
出会いが素晴らしく、生活も素晴らしく、過ごせれば文句はありません。
もちろん明治、大正、昭和初期の様に自由恋愛でない形の中で不幸になった人もいると思います。
ただ、今だって、ものすごい大恋愛をして素晴らしい出会い、運命の相手と言いながらも、離婚する人がものすごい数います。
出会いにあまり過度なものを期待するのも、違っている気もします。
文章で書くとニュアンスが伝わりにくくて難しいですが、最初にも書きましたが、吉縁会の最後にいつも
「相手は誰でもいいからとにかく結婚してください。」
と言っています。
「で、ダメだったら離婚してください。」とも。
怒られてしまいそうですが、
昔は、結婚のハードルは非常に低く、離婚のハードルは非常に高かった。
ただ、今は、結婚のハードルは非常に高く、離婚のハードルは非常に低い。
だから離婚も珍しくない。だから「安心して誰でもいいから結婚してください」って、半分冗談めいて言うので、みんな笑いながら聞いていますが・・・・・・
これも一つの真理だと思うのです。
私たちはいつの間にか、幸せにしてくれる相手を探すようになっています。そんな人との素晴らしい出会いを待っています。
本当は、誰と結婚しても幸せになれるし、
逆に言えば、どんな素晴らしい相手と結婚しても不幸になれるのです。
結局すべては自分の思い一つなのです。
うちのばあさんは、結婚した後、与えられた場所で、じいさんの良いところを見つめ、脚元にある幸せに気づきながら、じいさんと二人で幸せになっていった。
幸せにしてくれる相手を探すのではなく、出会った人と同じ毎日の中で、二人で幸せを見つけ、暮らしていけばいいのです。
少し乱暴な話に聞こえるかもしれませんが、昔と違い今は、自由恋愛でしか結婚し家庭を持つチャンスのない時代です。
幸せになるという事と本来は関係ないかもしれない入口でしかない「出会い」の形や、時間や状況により、いつ変化していくかもわからない「条件」にこだわり過ぎて、結婚のハードルを上げすぎるのはもったいない気もします。
離婚された方の中には、もう二度と失敗したくない、とよく言う方がいますが、もちろん失敗したくないでしょうが、失敗するかどうかは結婚してみないとわかりません。
まぁ、あまりにもひどい相手は別として。
成功というものが、物欲などあなたの欲を満たすものでなく、幸せに生きることができると言う事を指すのであれば、やはり自分の思い一つです。
その人と、与えられた場所で、身近にある幸せに目を向け生きていく事が大事のような気がします。
そうすれば、誰とだって、どのような条件だって幸せに暮らしていく事ができるのはないでしょうか?
ばあさんの103年の生き方が、皆さんの幸せの力になったとしたら、孫として非常にうれしく思います。