恋に効く、仏教 Vol.32
第三十二話
翔子ちゃんから学びたい事1
2017.06.28
金澤翔子さんはご存知でしょうか?最近よくテレビでも見る機会も増えましたが、ダウン症の女流書家として活躍しています。
そんな金澤さんと、私は深いご縁があり、家族ぐるみで仲良くさせていただいています。
数年前にも私のお寺で展覧会を行い、
それ以来、私の子供たちも仲良しでよく遊んでいます。
先日も一人暮らしをする翔子ちゃんの部屋で大騒ぎして遊んでいました。
そんな金澤翔子さん。
まぁ
いつも言っている翔子ちゃんと
書かせてもらいますが、
そんな翔子ちゃんが
30歳の記念で書いた般若心経を私の寺に奉納してくれました。
横16m縦4mの世界一大きい般若心経で
新築された涅槃堂に先日納められ、
翔子ちゃんも来て仕上げ。
よっぽどうれしかったのか、
翔子ちゃんは号泣していました。
私たちも、檀家さんも皆が喜び素晴らしい日となりました。
今、展覧会を開けば多くの方が訪れ、過去の累計では100万人以上が翔子ちゃんの個展・イベントに集まっています。
それだけ多くの人に感動を与える
翔子ちゃんの魅力はどこにあるのか?
様々な魅力がありますが、
ダウン症という障害のある子が頑張っているという
それだけの世界だけで彼女の魅力は語れません。
僧侶の立場で見ると
本当に素晴らしい子です。
私達は、
日々暮らしていく中で、
いつの間にか、
余計なこだわりを持ち
物にも人に対しても偏った偏見の心をどこかに持ち
一度言われた悪口にいつまでもとらわれて
いろんな余計な思いを背負い、
それにより本人も気づいてはいませんが、
窮屈な生き方をしています。
日々は新しく、まっすぐに、楽しく
生きていけばいいだけなのに
それが素直にできない。
小さい時は
毎日新鮮にうれしく生きていたのに。。。
ただ出来なくなったのは、
大人になったからじゃない。
今の、状況がそうさせているからじゃない。
いつの間にか自分についた余計な思いが
今も心の奥にある幼いころのようなキラキラした心にフィルターを付けてしまっているのです。
そのフィルターを通してみているのが、皆さんが見ている世界です
私たち僧侶は、
その余計な思いを、坐禅をして捨てて捨てて
物に対しても、人に対しても
フィルターを外し、
まっすぐに物が見られるようなるように
修行するわけですが、
ただ、翔子ちゃんはちょっと違います。
ダウン症って才能だ。と私たちは言っていますが、
翔子ちゃんは、そもそも
こだわる、かたよる、とらわれる
という事が最初から一切ありません。
翔子ちゃんの家に遊びに行った時に
お母さんが、
「あの子は、余計な思いがくっつかないのよ」
と言っていたのが印象的でした。
翔子ちゃんも怒ったり、悲しんだり、欲しいものもあったりしますが、
余計なこだわり、かたより、とらわれ
の思いが心にくっつかないのです。
余計な悪い思いが
心にくっつかない。
そんな素晴らしい心なのです。
だから、32歳になった今も、いつまでも小学生のようなキラキラした毎日を送っているのです。
皆さんも小学生の頃は、
家族で旅行に行くだけで楽しかったでしょう。
行先なんかより、出かけるだけでワクワクが止まらない。
近所のレストランに行くだけでうれしくてしょうがない。
友達と全力で遊んで、もし、喧嘩してもすぐに手をつなぎ笑いあえる。
そんな心で生きていたはずです。
それが、いつの間にか
旅行に行くだけじゃうれしくない。
行先も大事だし、行くメンバーも大事。
ホテルもきれいなところじゃなきゃダメだし、
サービスが悪いと、旅行が台無しと怒って。
ご飯もどこに行っても、子供のころの感動はない。
友達と喧嘩しては、仲直りが難しく、仲直りできないから、ぶつからないように無理に生きていく。
いつの間に、
そんな難しい生き方で、
窮屈に生きるようになったのでしょう。
大人になっても翔子ちゃんは
毎日がキラキラ生きています。
目の前の字だけに全力です。
書を書くときは、
目の前の字の事だけの命を生きています。
悲しい時もあるし、
上手く行かない事もある。
失敗もするし、
怒られたりもする。
でも、
反省は学んでも
いつまでもそれを引きずったりしない。
だって、終わったことだし。
明日や1週間後の予定の事で、
頭を悩ますこともない。
だって、それは、この今には無関係だから。
まずは今日の事を全力に生きなくちゃ。
そんな素晴らしい心を
あの子は常に持ち暮らしています。
誰にでも分け隔てなく
抱き合い、笑いあい。
皆が喜ぶのがうれしくて、
踊っておちゃめな姿を見せ
お母さんが喜ぶのがうれしくて
書を書き続けています。
横に線を引っ張る
それに、なんの邪心のなく
ただ、線を引っ張れる。
そんな心なのです。
もちろん
師匠や周りのサポートで
書家としての指導を幼い時から受けての上ですが、
その心を持って書くからこそ
皆を感動させる作品が残せるのです。
翔子ちゃんも出来ないことだらけです。
数日前、うちで子供たちとWiiでのカラオケをしても、何歌っているか全くわかんないし(笑)
でも、全力ですが。
でも、
心を見れば私たちのほうが出来ないことだらけです。
健常者・障がい者と言いますが、
私たちの方がよっぽど劣っています。
と言っても
私たちが、
急に翔子ちゃんのような心になる事は難しいでしょう。
私たち僧侶でも
何十年も修行をし、坐禅を組み続け
限られた人が得られる境地ですから。
でも、
翔子ちゃんの生き方を見て、
いつも間にか
日々にキラキラを感じなくなっている自分の心は何なのか。
余計なフィルターを通して世界を見てないか。
偏見な思いを持っていないか。
それについて反省することは出来ます。
世の中に、嫌な人はいません。
嫌だなーと思う人がいるのです。
すべてあなたの心次第です。
その心を見つめ
生き方を反省し、
いま
ここにある
私だけ
それだけを懸命に生きる。
そんなシンプルだけど、
命をしっかり使い切る生き方を目指すだけで、
日々の暮らしはキラキラしてくるのです。
道に落ちている石を宝物だと、
宝物入れに入れていた純粋なキラキラした毎日に戻る事が出来るのです。
素晴らしい
楽しい
人生を生きるのは難しいですが、
日々を
素晴らしく
楽しく
生きることはすぐに出来るのです。
そこに気づくことが
あなたを魅力的な人にする近道かもしれません。
私の寺である浜松の龍雲寺でも
10月26日から
金澤翔子書展をして、
世界一大きい般若心経も公開しますが、
9月23日から
上野の森美術館でも個展もあります。
是非作品を見て
あの子の努力だけでなく
心を感じてくれればうれしいです。
そして、
自分の心を見つめる機会を持ってください。
龍雲寺の世界一大きな般若心経は
8月頃より公開し、10月の展覧会で正式公開する予定です。
追記
今回は、
翔子ちゃんと過ごして感じたことを書こうと思いましたが、
本当に書きたかった事まで書ききれないので、
次回続きを書きたいと思います。
翔子ちゃんが一人暮らしをしてぶつかった壁
について次回書きます。
しばらくお待ちください。