恋に効く、仏教 Vol.37
第三十七話
差別と区別
2017.11.16
10月26日から11月6日まで私の寺、龍雲寺で
ダウン症の天才書家「金澤翔子書展」が開催されていました。
期間中に
13,000名もの来場者があり
地方都市の普通のお寺の展覧会にこんなにも多くの方が来てくれることに驚くと共に
翔子ちゃんの人気に圧倒されました。
翔子ちゃんとは数年前より
家族ぐるみで仲良くさせてもらっていて
この年末も、
うちの娘が一人暮らしをしている翔子ちゃんの家に泊まりに行く約束をしていました。
そんなご縁から
世界一大きい般若心経を奉納いただき、
また
今回の書展開催となりました。
40作品ほど展示する大規模な書展となりましたが、
多くの方が
翔子ちゃんの心に触れ
自分の生き方や心の在り方を
反省し
戒め
正しく、素晴らしく生きたい
と思い直す良い機会になってくれたのではないかと思いますし
そうであってほしいと思います。
その書展の期間中や、その前の告知の時から
たまにこんなことを言われていました。
「翔子ちゃんの事をダウン症と言うのは
かわいそうではないか?」
と。
これについては、金澤さん達も
昔から言われ続けてきたことです。
でも、何がかわいそうなのでしょうか?
ダウン症はかわいそうなのでしょうか?
今の世の中は、平等が強く訴えられていますが、
その主張の中で、たまに
差別も区別も、ごちゃ混ぜにする方も多くいます。
その違いを理解しなければいけません。
この世には様々な区別があります。
男と女
背が高い、低い
足が速い、遅い
数えだしたらキリがありません。
昔、ゆとり教育が行われていた時に
ある学校で
運動会の徒競走で、
6人走っても全員が1着。
順位をつけないという事をしていました。
訳が分かりません。
よーい、ドンで走ったら、
必ず速い子と遅い子がでます。
1着から6着まで必ずあります。
これは
区別です。
ただ、
1着は素晴らしく
6着はダメだ。
と言うのは
差別です。
教え方が違うと思います。
男と女
男女平等と言われますが、
全く同じではありません。
男と女は違うのです。
でも、男が尊く、女はダメ
と言うのは
差別の思いで良くありません。
障がいのあるなしについても同じです。
障がいのある方は出来ない事も多くあります。
障がいのない
いわゆる健常者と言われている方と比べれば、
出来ない事も多くあります。
障害のあるなしの区別は存在します。
ただ、
障がい者はかわいそう
健常者は素晴らしい。
そんな思いは差別でしかありません。
ダウン症という事実は変えようがありません。
ただ、あの子はダウン症である自分を楽しく生きています。
ダウン症はかわいそう。
ダウン症と言うのは差別。
という思いは、
差別の思いが根底にあって
はっせられる言葉です。
翔子ちゃんは、ダウン症で出来ないことだらけです。
カラオケをやっても一本調子で何を歌っているかわかりません。
でも、楽しそう。幸せそう。
心を見れば
私たちの方がよほど足りていません。
区別のない社会は訪れません。
日本人と韓国人
国が違う区別が実際存在しますが、
韓国人は劣っている
などという思いは差別です。
今の世の中は
差別を平気でする方もいる一方、
差別と区別を、ごちゃ混ぜにしている方も多くいます。
翔子ちゃんは
ダウン症だよーと楽しく生きています。
字の上手い人は、みんなダウン症でしょ?
と笑っています。
差別はいけません。
でも、区別と差別を混ぜていく事も
結果、差別を生んでいくのです。
みな、違うのです。
一人一人全く違うのです。
みんな違ってみんないい。
違うけども、みんないいね。
そんな心を持つ努力をしませんか?