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Vol.42暇と毒

Vol.42暇と毒 愚かな女との遭遇。

2016.12.06

みなさん、こんにちは。植松晃士です。
 
この前はハロウィーンなんて話していたのに、すっかり冬モードになりましたね。
今回は『愚かな女との遭遇』です。
 
先日、とある人から聞いたお話。文房具屋さんでお買い物をしていたんだそうです。
で、レジに並んでいたら、前のお客さんが文房具屋のポイントカードを探して探して探して、
かなり待たされたんですって。さらには、お使いだったんでしょうね。お金を出すのも、
会社の封筒からまごまごしていて、5分くらい待たされたんですって。
「あらかじめ買い物に行くのがわかっているのに、カードもお金も出す準備ができていないって、
どういうことだろう? 段どれない人って絶対に仕事ができない人と思う」と憤っていました。
 
お使いって雑用というか、もちろん仕事のひとつではありますが、
ある意味誰にでもできる簡単なことじゃないですか。それすらもきちんとこなせないと、
やはり「大きな仕事はまかせられない」とみなされても仕方ないですよね…。
 
ただ、このエピソードを理解できない人もいると思う。「何がいけないの? どこか憤るポイントなの?」って。
そういう人もいながら、段取りうまくできる人。気がつく人。気遣いができる人もいる。
その差はどこからくるのかしら? 自分が逆の立場になったことがないのかしら。
あるいは、頭の中で「これをどうすればいいか。どうすれば状況がよくなるか」
というシュミレーションができない、“頭の中の構造が段取りベタ”なのかも。
 
いきあたりばったりで生きて、とんでもない発言したりするから、
大事件を引き起こしたりするんだよねー。そういう人は次の階段を昇れないから、
その場所にくすぶったままになっちゃう。
 
実は、少し前までは、僕もこのエピソードを聞いて憤っている側だったんだけど、
最近ふと思うことがあるんです。「人は、自分自身を基準にして比べていろいろなことを決めているんだな」って。自分自身ができることを基準にするから、できない人を見つけるとイライラしちゃう。
そういうことじゃないかしら?って。
 
例えば、ips細胞を発見して応用できる知力の方もいれば、
老舗の旅館をきりもりするコミュニケーションに長けた女将もいる。
世界が違う人を比べる時に、果たして自分自身を基準にしていいのだろうか? って思うんです。
 
極端な例えで言えば、美しく盛られたお料理は残さず食べるのがいいとされる日本。
それに対して、残したほうがいいとされる中国。
人前で鼻をかむ行為が許される欧米と、はしたないとされる日本。

ちょっと壮大な話になっちゃいますけど、つまり、この世は異文化(はたまた異人種?)世界。
自分自身の基準で、他人(他国?)をいい・悪いと決めていいものだろうか?
 
だから、列が並んでいるのにぐずぐずと段取れない愚かな女がいたとしても、
それはその人の世界では普通のことなのかも。もちろん、個人的にはムカつくけどね……。
 
でも、西遊記をイメージしてー。お釈迦様は、孫悟空に
「自分の考えをあてはめてはいけない」とおっしゃるような気がするぅ(笑)。
 
この世は異人種のるつぼ。ひとつの会社においても、ひとつの家庭というか、一族内でもるつぼなんだと思う。
そう考えると、異人種(異文化)を「おせっかいをやかずに受け入れる」か
「そこに舞い込んだ自分をあきらめる」かという、この普遍の問題にぶつかるんです。
これは永遠のテーマなのかも。
と、愚かな女性のエピソードに遭遇して、ふと思い悩んでしまう師走でした。
 
皆さん、風邪にはお気をつけて。またお会いしましょう。
 

Writer Profile

植松晃士
植松晃士Koji Uematsu

アタッシェ・ドゥ・プレス(※)
ファッションプロデューサー
株式会社ヘルメット/株式会社アンソニーレッド 代表取締役
数々のファッションブランドのPRを手がけるほか、ファッションプロデューサーとしても活躍中。TVや雑誌などの多くのメディアで、女性のファッションに対する独自の視点と、その辛口トークが大好評。

※アタッシェ・ドゥ・プレス
ファッションブランド、ジュエリー、コスメ、ファッションビルなどのPRを手がけるほか、ブランドのPR、ブランドディレクション、企画アドバイス、イベント企画・運営などを行います

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