Vol.26本道佳子マネージャー日記
シェフの決断
2015.07.23
前回vol.25で書きました、奇跡のキャロットケーキを作っていた本道さんに、ある転機が訪れます。ひとりの日本人女性から、「レストランでシェフを募集しているから面接に行ってみては?」と、提案されたのです。
そこは、当時のニューヨークにおいて超一流の高級レストラン。
世界中のVIPが集まることでも有名でした。
いきなりそんなところへ飛び込むには、デラックス級の勇気がいりそうなものですが、そこは、常に「Yes」と返事をすることで道を拓いてきた本道さんのこと。
すぐに面接へと向かったそうです。
面接をしてくれたのは、そのレストランのトップシェフ。
そこで聞かれたことは、たったひとつでした。
「いつから来られる?」
本当は、ケーキ屋さんの他にもいくつか仕事を掛け持ちしていたので、その先の予定も埋まっていたのに、気付いたらこう答えていたそうです。
「次の月曜から。」
ただそれだけ。
たったひとつの このやり取りで、本道さんはニューヨークのレストランで働くことになりました。
大きい小さいに関わらず、目の前にきたチャンスに、ただ「Yes」と答えて笑顔で前に進む。
そうすることで、世界中の美味しい物を食べたかった少女が、世界中の美味しい物をつくれる人を目指し、世界中のお金持ちに料理を食べてもらう料理人へとなったのです。
私は、本道さんにこう聞いてみたことがあります。
「なぜそのシェフは、その一言で採用を決めたのだと思いますか?」と。
「シェフに聞いたことはないけれど」と、前置きをしたうえで、本道さんはこんなことを言いました。
-------------------------------
シェフというのは、一瞬一瞬判断を迫られている。
目の前の素材をどう切るか、いつ火を入れて、いつ止めるか。どう味付けをするか・・・・・・。
そうやって常に瞬時の決断をしながら、そう決めた自分自身を信じて前に進む。
だから、その時のシェフも、顔を合わせた瞬間に「採用する」と決めた。
シェフ自身が、そう決断した自分のことを信じていたのだと思う。
------------------------------
本道さんはその後、スーシェフという二番手のシェフとなりました。
そして、世界のVIPの個別の要望に応えるため、世界中の食材を使いながら毎回異なる料理をつくることとなったのです。
これがまさに、メニューのないレストラン『湯島食堂』の原点となり、目の前にある素材を人の想像を超えた料理に変えていく本道さんスタイルのベースとなりました。
この話を聞いて、ひとつ気が付いたことがあります。
それは、本当に腕のいいシェフは、素材を見る目も人を見る目も長けていることに加えて、「自分を信じる」力が強いのだということ。
たしかに、上に立つ人が部下や仲間のことを信じ、さらには、そうした自分自身のことを信じていたら、周りにいる側としては、その期待に応えたいという気持ちが膨らみますよね。
本道さんが皆さんに伝えたいことのひとつに、「自分を信じる」というものがあります。
以前、vol.3でも書いたことがあるのですが、例えば塩加減。
塩で味を決めるときに迷う気持ちがあると、その迷いは料理に入り、食べる人をも迷わせる。
食べてくれる人をイメージした時にさっとつまんだ塩の量がベスト。だから、その量の塩を手にした自分を信じること。
それが美味しい料理を作るために何より大切なのです。
そして同時に、自分を信じることは、周りの人をも信じること。
「自分を信じる」ことが周りの人にもどれほど大きな力を与えるのかを、身をもって知っているからこそ、本道さんはどうしてもそのことを伝えたいのかもしれません。
私は、時々思うのです。
本道さん誰よりも自分自身を信じ、後ろを振り返ることもなく前に進み続けている。
それは、あの日ニューヨークで、一瞬にして本道さんを信じてくれたシェフをはじめ、本道さんのことを心の底から信じてくれた人たちに対する恩返しなのかもしれないと。
ピンクと紫じゃがいも パセリがけ:鮮やかなじゃがいもの色をそのままに、ダイナミックに仕上げた料理。
さつまいものかくれんぼ:葱のオーブン焼きの下にはたくさんのさつまいもが。茶色のものは、よく洗ったネギの根を素揚げしたもの。