Vol.31本道佳子マネージャー日記
夢のディナーがもたらしたモノ
2015.10.01
前回のvol.30で、本道さんが「夢のディナー」に出演したことを書きました。名だたるシェフの中に名前を連ねることができる。
それだけでも素晴らしいことなのですが。
この夢のディナーは、本道さんにとって格別な意味を持っていたのです。
今からさかのぼること25年ほど前。
本道さんは、ペンションを経営する会社で料理部門を担当していました。
そこでは料理家の先生方をサポートする立場だったそうですが、やはり小さい頃から美味しいものが大好き、しかも好奇心旺盛な本道さんのこと。
料理を自分の手でつくってみたいという気持ちがどんどん膨らんできたのだそうです。
勤めて数年経ったある日のこと 会社を辞めて、シェフになることを決意しました。
今でこそ、女性が男性と同じように働いたり転職したりすることは珍しくありません。でも当時は、結婚等の理由がなく、20代前半の女性が会社を辞めるのはとても珍しいことだったそうで。
本道さんの突然の決断に、会社の人たちはみんな驚いたそうです。
引き留める声も多い中で、最終的には『いかにも本道さんらしい』と、快く送り出してくれました。
皆さんの温かい気持ちを胸に、これからどんな楽しい世界が待っているのだろうと、期待は膨らみます。
そしていざ、料理の世界に足を踏み入れたとき。
待っていたのはこんな言葉でした。
「女なんだから、シェフなんかやめて主婦になれ。」
本道さんは今でこそ、「ちょっとダジャレみたいで面白いですよね。」 そう言いながら、笑ってこの言葉を口にします。
でも、この言葉を投げかけられたときの、悲しみや怒り、悔しさといったら。
表現のしようがないほど、本道さんの心に深く刺さりました。
もともと持っていた「世界中の美味しいものを食べてみたい」という気持ちに加えて、この言葉が、本道さんを世界へ羽ばたかせるきっかけとなったのです。
そして選んだのがニューヨーク。当時は、ニューヨークにこそ、世界中から人も食材も集まっているに違いないと思ってのことでした。
そこで「女だから」という目で見られないように、毎日一生懸命に働く日々。
誰とでも一瞬で友達になれるという特技(?)も手伝い、厨房でもたくさんの仲間が増えました。
そして、あっという間に、世界中のVIPが集まるレストランのスーシェフ(二番手のシェフ)になり。
と思ったら、何のためらいもなくその立場を捨ててロサンゼルスへ移住。
10年後には日本へ戻り、ビーガンのシェフになることを決めました。そして2010年末には「湯島食堂」をオープン。
野菜だけのレストランは成功しないという不文律を覆して、今や「幻」とか「伝説」とまで言われる大人気店をつくりあげたのです。
と、これだけ書くと、シェフとして実に順風満帆な道を歩んでいるように思えますよね。
でもずっと、あの時言われた言葉が消えることはなかったのだそうです。
「女なんだから、シェフなんかやめて主婦になれ。」
『ひょっとしたら、あの時の悔しさがここまで料理を続けてこられた原動力になっているかもしれない』 そんな言葉を聞いたこともあります。
私もつい最近知ったんですけどね、実は本道さん、アメリカにいるときも「なぜ女は料理長になれないのか」という本をたくさんたくさん読んでいたのだそうです。
それぐらい、この言葉は本道さんの中に大きなしこりを残していたのでした。
そう、だからこそです。
「夢のディナー」に、女性である本道さんが出演できたこと。
25年前、本道さんが海外に出ていくときに、すでに日本で名前を馳せていたシェフと同じ舞台に立てたこと。
これは、ただ光栄であるとか名誉であるとか、そういうことではなく、本道さんにとって格別な意味を持っていました。
あの日は、『厨房では、女性は一人前として認められない』という、本道さんの心の奥底で消そうとしても消えることのなかった大きなしこりが取り除かれた日だったのです。
本道さんは、夢のディナーの日のこと振り返って、こう表現します。
「ベルリンの壁の崩壊が世界に与えた衝撃と同じぐらい、私の人生において劇的な日でした」
2015年9月6日の夢のディナー in 東京。
この日は、本道佳子という一人の料理人の人生にとって重要な意味があったのと同時に、日本の料理界でシェフを目指す女性たちにとって、とても大きな架け橋になったような気がしています。
夢のディナーで使った自然栽培のごぼう
シェフの皆様の勢ぞろい。目立ってます。