恋に効く、仏教 Vol.3
第三話
嫁と入れ歯は、
慣れれば極楽
2015.10.07
第二話で、私のじいさんの事を少し書きましたが、今回はそのじいさんが日ごろ言っていた言葉です。「嫁と入れ歯は、慣れれば極楽」
まったくもって変な言葉です。
じいさんは時折変な言葉を言う人で、
「蟻が鯛(ありがたい)なら、芋虫や鯨」
とか、いつも適当なことを言っていたので、小さい頃は、この言葉もふざけて言っていると思っていました。
ただ、良く噛みしめるとなかなか思いの詰まった言葉です。
じいさんは、貧しい育ちで歯磨きもまともに出来なかったこともあって、30代で総入れ歯になっていました。
一緒に風呂に入ると、蛇口で豪快に入れ歯を洗って、口に装着する姿が思い出されます。
そんなじいさんが、私の母に日ごろの感謝を込めて言った言葉が、
「嫁と入れ歯は、慣れれば極楽」
だったそうです。
戸惑う母にじいさんは、
「入れ歯というのは、口の中に入ってくる異物だ。
口の中というと、体の中でも結構過敏な部分だ。そこに異物を入れて生活していくわけだが、ただ、その異物に慣れてしまえば、こんなに楽なものはない。
歯磨きなどしなくても、風呂場でジャーっと洗えばお終いだし、こんな楽で素晴らしいものはない。
ただ、慣れようとしないと、いつまでもその異物を異物として感じながら、過ごさなけりゃならん。これは辛い。
「嫁さんも一緒だ。
長い時間をかけて作ってきた家庭という中に、
ある意味突然異物が入ってくる様なものだ。
そりゃお互いで、戸惑う事もあるだろうが、
その異物に慣れてしまえば、かわいい娘が急に一人出来たようで、こんな極楽なことはない。
あんたも異物である私を受け入れてくれたから、極楽極楽だ。」
「入れ歯も嫁も、今じゃ極楽だ。」
母は、突拍子もない言葉で驚いたものの、その真意を感じ、うれしかったそうです。
受け入れて、慣れる。
ただ、それだけで極楽になり、
受け入れようとせず、異物を異物として感じて過ごせば、
地獄の日々を暮らす。
小さい思いの違いが、大きな違いを生むのです。
数年前に、うちの寺の檀家さんのおばあさんが亡くなった時の話です。
自宅でずっと看病してもらっていましたが、
不思議なもので、最後が来るっていうのがわかるのか、おばあさんはみんなを呼んでほしいと言ったそうです。
おばあさんをみんなで囲むと、おばあさんは布団からゆっくりと起き上がり、
一人一人に握手をして
「ありがとう、ありがとう」
と一周して、
最後に、お嫁さんに
「あんたに一番世話になった、ありがとう、本当にありがとう」
とお礼を言って、強く握手をしたそうです。
その翌朝、皆に囲まれたまま、おばあさんは亡くなりました。
死に理想的もなにもないかもしれませんが、理想的な亡くなり方だなと思います。
これ、人生の最後に握手すればいいかというとそうじゃありません。
やはり、それまでの行いの積み重ねが、最後に表れたのです。
おばあさんは、お嫁さんを受け入れて、
お嫁さんも、おばあさんを受け入れて、
異物に慣れて、極楽な暮らしをしていたからこそ、
素晴らしい最後と送りができたのではないでしょうか?
「嫁も入れ歯も、慣れれば極楽」
じいさんは、息子の嫁に対しての思いでしたが、これはすべての事に対して言えると思うのです。
結婚も、彼女も、彼氏も、姑も、嫁も
人生は、様々な場面で、自分の生活の中に異物が飛び込んでくる場面が結構あります。
それをいつまでも異物と感じ、慣れようとしなければ、やっぱり一人がいい。今までの生活がいい。という事になってしまいます。
一歩思いを前にだし、受け入れて慣れよう、とすれば、
人生を豊かにする相手を増やし、幸せは倍々ゲームで増えていくのです。
近所付き合いを避け、親戚付き合いも避け、自分のリズムと同調できない人を排除しながら暮らす時代。
異物が口に飛び込んできても、時間をかけ、受け入れようとして、慣れて慣れて。
その思い一つで、
異物だと思っていたものが、
あなたの人生を豊かにしていくものに変わるのです。
自分の思いを少し変えて、幸せになりませんか?